広告宜伝費がぼう大だということが、広告代理店とのナレアイの不正や、暴力団のつけこむ
スキとなる。女性がオシャレをして、暴力団を〝養って〟いるとすれば、これほどの喜劇はあるまい」
資生堂三浦秘書室長の話
「一月ほど前に経理から転任したので横領社員のことも、アメリカ逃走のことも知らない。昔、モルガン化粧品を相当大量に廃棄したことはあるが、これは資生堂の品質保持と同じ意味だ。ウチは固い会社だから暴力団におどされるなどあり得ない」
東棉の〝痛いハラ〟
こうして、日本観光新聞の広告面から、資生堂問題がでてきたのだから、日本観光新聞はさらに追及された。すると、まさに〝因果はめぐる小車〟である。第四章の住宅公団光明池事件の項で述べた、広布産業事件の東洋棉花がでてきたのである。
というのは、現社長香川英史氏が、故池田首相に極めて近く、その強力な推せんの結果、諸先輩を飛び越えて、東京駐在の専務から社長へと栄進したということである。内部情報が伝える〝巻説〟は、香川社長が、池田政権の資金造りに協力していた、その論功行賞の〝社長〟でもあるという。
また、ダイヤモンド社職員録によると、香川社長は昭和四年の入社であるが、副社長は大正十三年入社、専務の一人が大正十四年入社、もう一人の専務が昭和四年の同期であるから、先輩を飛び越えて、社長になったというのも、事実であるとみるべきである。朝日の志賀質問の記事におくれること旬日にして、素ッパ抜きとお色気で有名な日刊観光が、五月二十二日付の社会面全面を埋めて、「東洋棉花のサギ・政治献金、疑獄化するか」と、派手にやっつけているのである。
そしてまた、軌を一つにして同日付の週刊新聞「マスコミ」が、同様に一面全段で、「第二吹原事件か、防衛庁を舞台に詐欺事件」と、やっているが、例のマンション殺人事件(四十年四月十日)で、〝政治的謀殺か?〟と、一時は騒がれた倉地社長の経営していたこの新聞には、派手な扱いのクセに、見出しに「東棉」の文字が一つも出てこないで、逆に、「原告は前科八犯、どちらもどちらの当事者」という、見出しが目立っている。
奇怪な事実というのは他でもない。日刊観光の記者が、この事件を取材にいったところ、東棉側では、二十万円の現金を封筒に入れて出したという。若いこの記者が、出された金の処置に困って、席を立ち、電話を社に入れ、責任者の編集局次長B氏に報告した。記者に与えたB氏の指示内容は判らないが、記者が席にもどってみると、東棉側の相手はいなくなって、テーブルには二十万円の封筒が置き去りにされていた。