好調に気を良くした中央観光では、四十年二月から「南房シーサイドセンター」建設計画(千葉県勝浦)なるものを大々的に宣伝、中小企業から約八千万円を集めたが、用地を買った
だけで計画はズルズルと延び、着手時に倒産となった。
最初から金の無かった中央観光は、四十年には川越文雄氏(元大蔵次官、元平和相互銀行会長)を会長にいただき、川島正次郎氏の元秘書、ニセ証紙事件で名を馳せた根本光太郎氏を取締役に迎え、政界への働きかけに、一そう精を出した。
ここで東海銀行の不当融資問題が現われる。最初から金繰りに四苦八苦している不良会社に、四十年八月、アッサリと一億五千万円貸付けたのである。さらに同年十二月に五千万円、翌四十一年春に五千万円、計二億五千万円が融資されている。
それまで融資していた興産信用金庫や、平和相互のいわば不良貸付け分を、東海銀行という一流の都市銀行が、ほとんど肩代りするという、これまた不思議な取引きが行なわれた。
この間の事情は、川越会長の依頼で石原登氏(元自民党代議士)ら二人が仲介して、増田甲子七氏(防衛庁長官)が、東海銀行からの融資を斡旋した、という。さらにこの前後に一千万円が政治献金として小島社長からひそかに送られた、といわれている。
長期信用銀行もそうだが、この当時の恐らくはかなりの業態不振をバクロしていたハズの中央観光に、こうした巨額の融資が行なわれた、ということは、まことに不可解な話といわねばならない。
倒産時の負債について、中央観光側は会員からの預り金二億円、借入金三億円、計五億円だ
けというが、私の調査による実情は大体次の通りだ。
〈借入金〉東海銀行 二億三千七百万円、長期信用銀行 二千万円、三信商事 七千万円、清水建設 四千八百万円、
〈会員からの預り金〉(推定)四億五千万円
〈その他負債〉融通手形など未払手形約一億三千万円
総計=九億五千五百万円
政治家と結んだ虚業家
この、融通手形は、小島社長ら一部の幹部が、東京や京都の金融業者に乱発して、実体は不明ながら二億五~六千万円以上はあるのではないか、とみる向きもある。
東海銀行の融資は、「箱根ドリームセンターの建設に融資したので、運転資金に関してはみないという条件」(東海銀行三好貸付二課長)だったというが、倒産の間接責任を、ていよくかわした感がないでもない。
長期信用銀行が、中央観光に融資したのは四十一年。麹町税務署が同社箱根事業所を税金の未納で滞納処分にしようとした時、急拠貸しつけられたものという。東海銀行の融資態度と共に、疑惑がもたれるのも当然である。