こうして、八月二十九日に「財展」誌が発売されるや、翌三十日付アカハタ紙にも、この会食事件がスクープされた。つまり、アカハタ紙は、「財展」誌の発行を待って、同時にスター
トしたのである。九月二日に検事総長が司法記者クラブでの会見で、事実関係を認めて、三日付各紙に大々的に報道されるや、アカハタ紙も三日付で報道、さらに翌四日付は一面、社会面の両面を使うという、大扱いぶりである。
「財展」誌の記事を良く読んでみると、内容は、四月十九日の花蝶での三者会食、領収証番号と金額、五人の芸者の名前、という、三つの事実しかなく、他の長文は解説である。
さらに仔細に検討してみると、故意か偶然か、領収証番号の末尾二数字が、「四九」と記されており、本物の「九四」が間違えてある。また、芸者の名前がすべてカタカナという点に、ことさららしい技巧を感ずる。
ところが、アカハタ紙の四日付記事には、どの新聞雑誌にも出ていない、「政治評論家I氏」なる人物が登場し、馬場検事総長の後任問題で、I氏が首相に進言、「同時に井本氏は七月二十六日夜(注。四十二年)、赤坂の料亭『小松』で池田代議士と面談、前後して、同代議士秘書鷲見一雄氏とI氏宅を訪れています」と、具体的に〝就任秘話〟を詳細に述べている。
この〝就任秘話〟の部分は、検察当局が押収した「鷲見メモ」の内容そのものである。鷲見氏が、自分の行動予定表に「日付、時間、井本、鷲見、I氏訪問」と記入しておいたもので、井本総長の意志も都合も問い合わせてはおらず、従って〝予定〟に終わり、事実はなかったという。同記事もI氏の否定談話をのせているが井本総長も否定している。当然である。個人の予
定メモにすぎないからだ。
しかし、関係者の供述を知らずに、このメモだけを見た者が判断すれば、「井本総長が池田秘書鷲見氏とI氏宅を訪問した」過去完了の〝事実〟と誤まるのが自然であり、アカハタ紙の記事は、その通りに書かれている。
このことは、検事の押収した証拠資料が、アカハタ記者(もしくは関係者)に〝見られている〟ことか、〝見せられている〟ことかの、どちらかを裏付けている。しかも、この〝就任秘話〟は、池田議員の三百万円贈収賄被疑事件と関係のないことである。ここに、これらの記事の「謀略性」がひそんでいる点であり、ニュース・ソースが地検特捜部という疑いをかけられる点である。「謀略」と国民の「知る権利」とを抱き合わせることは、許さるべきことではない。
「謀略」は「公正なる報道」ではない。だから、これらの記事のソースは、国家公務員法違反被疑事件として、厳しく追及されねばならない。告発されるべきである。
スクープの同時掲載による、アカハタ紙と「財展」誌の、双方の記事を検討してみると、このような特徴が見出される。
いずれにせよ、両紙誌の記事の内容は、捜査当局でなければ知り得ないことであるのは事実である。そして、そこに、この二つの記事の「謀略」性が発見されるのである。