いずれにせよ、両紙誌の記事の内容は、捜査当局でなければ知り得ないことであるのは事実である。そして、そこに、この二つの記事の「謀略」性が発見されるのである。
検察、とくに地検特捜部に近く、しかも、「財展」誌とアカハタ紙とを、ともに結べる人物というのは、一体誰であろうか。
もちろん池田正之輔代議士の関係個所に家宅捜索が行なわれ、手帖、メモ類の押収書類からこの会食事件が明らかになったというのだから、日通事件の打ち切りまでの時点で、司法記者クラブ加盟紙がスクープしたというのならば、会食事件記事の「謀略性」は薄くなる。
検察内部の深刻な対立
だが、今まで述べたような、いろいろの「人」と「事件」があったのちの、このスクープである。何らかの意図で、何らかの目的のための〝つくられた〟スクープである。
検察官が「公益の代表者」であることは、法律に明示されている。検事総長の言行が、それに相応しくないのならば、それを糾弾する道は、検察官適格審査会令をはじめとして、公正な方法と手段を用うるべきである。もしも、現職検事にして、その意があるならば、退官して戦うべきである。「犯罪捜査権」という、絶大な国家権力を用いて入手した資料をもって、法律に違反して(秘密を守る義務違反)、検事総長の非違を責めんとするのは、私闘であり、私憤である。大前提である「公益の代表者」ではない。〝就任秘話〟をバクロして、〝黒い霧〟ムードをまき散らさんとする。しかも、おのれは〝安全圏〟に身をひそめている——これが、
私憤、私闘でなくてなんであろうか。唾棄すべき卑劣漢である。
検察の派閥の対立について、これを否定する者がいたら、是非会いたいものである。私は、読売社会部記者として、昭和二十三年秋から、当時の法務庁記者クラブに二年間、昭和三十二年夏から一年間を、司法記者会クラブ員としてすごしたので、その実態をマザマザと目撃してきた。
「検察一体の原則」というのがある。検察庁法を読めば判るのであるが、検事は検事総長を頂点として〝一体〟になる、ということである。従って、総長人事ほど、全検事にとって関心のあるものはない。私が二度目にクラブのキャップとして、検察庁にもどってきた当時が、岸本派と馬場派の抗争の激戦期であった。
岸本派。当時の東京高検検事長、岸本義広氏を頂点とする一派だ。塩野季彦司法大臣からつづく、思想検事の流れである。馬場派。小原直司法大臣からつづく、経済検事の系統で、当時の法務事務次官、馬場義続氏を統領としていた。戦前の塩野、小原の対立が、そのまま戦後に引き継がれてきていたのである。
米軍占領時代、岸本派の領袖は、多く特高検事としてパージにかかっていたため馬場—河井ラインが、昭電事件を契機として勢力を植えつけた。当時の堀検事正は好々爺で、馬場次席—河井特捜検事の組み合わせは、現在の武内検事正、河井次席—栗本特捜副部長—大熊検事を想
起させる。