黒幕・政商たち p.230-231 「政治的陰謀」ではないか

黒幕・政商たち p.230-231 岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとした。
黒幕・政商たち p.230-231 岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとした。

総長会食事件にも似たケースであった。

この記事を取材、執筆したのは、読売の司法記者として高名な立松和博記者であった。彼は、当時病気上がりで、クラブ員ではなかったが、社会部長の直轄で、売春汚職取材を命ぜられていた。彼は、判事の息子で、昭電事件の連続スクープで名を馳せたのであるが、当時の最高検木内次長検事(小原派=馬場派)に、父親の関係から可愛がられていた。彼は当時、馬場次席

の下で事件を担当していた伊尾宏(浦和検事正)、羽中田金一(名古屋検事長)、河井検事らに密着し、雑談での取材打ち明け話では「検事が机上に書類をひろげていて、タバコを探して席を立つ。或いは、便所に行ってくるからといって、書類を伏せて立つと、逮捕状がハミ出ている、といった状態だった」と、私に語っている。

詳しい話は抜きにして、私がつきそって立松記者は、翌日の午後、高検に出頭した。彼を大津検事の調べ室に入れると、私は川口検事に連れられて一室に呼びこまれた。身柄不拘束のまま「被疑者調書」をとるという。調べはニュース・ソースをいえ、であった。

「あんたは、奈良屋旅館で原稿を書いた時一緒にいたという。それじゃ、その前に電話をかけた時も一緒でしょう?」

「ネ、誰です? 明かして下さい。それだけでいいんです。誰検事です?」

言葉は叮嚀ではあったが、川口検事の調べはしつようであった。私は反問した。

「私が、ここで現職検事の名前を、ニュース・ソースとして供述する。調書になる。すると高検はどうします。国家公務員法違反の逮捕状を請求して、その現職検事を逮捕するのですか?」

「ウム。たとえ検事であろうと、そういうことになりますナ」

私は知っていたが、知らないで頑張り通した。読売の方針が、ソースを徹底的に秘匿すると

決まっていたからだ。社の方針には従ったが、私自身の考えは別であった。両代議士が名誉棄損の告訴を起こすほどだから、これは「誤報」であるに違いない。誤報であるならば、その取材経過を公表して、読者に詫びるべきであるし、犠牲となった両代議士の名誉回復を図るべきだ、と考えていた。そして、当時の政治情勢から、藤山愛一郎、安井誠一郎両氏が初出馬する東京二区と七区とから、宇都宮、福田両代議士を落選させる「政治的陰謀」ではないか、と感じていた。

何しろ、娼婦が身体で稼いだ金をピンハネして、売春防止法の成立を阻止しようと、赤線業者がワイロを贈ったという「売春汚職」だから、これに関係した政治家は、〝史上最低の汚職議員〟として、再起できないと見られていた時である。その時〝新聞〟を利用した謀略——考えられることであった。

立松記者もソースの供述を拒否して、逮捕された。〝不当逮捕〟の世論が湧き、拘留請求は却下となり、三日目に釈放された。問題は正力社主の出馬となり、全面取り消しを掲載して両議員に謝罪、告訴は取り下げられて、すべてが片付いた。

その間に私が体験として知ったことは、岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとしたことであった。