新宿慕情 p.040-041 サカサクラゲ、連れこみ、アベックホテル、ラブホテル

新宿慕情 p.040-041 旺盛な新宿の活力が、この一帯までを盛り場として侵蝕し、境界線はさらに後退して、職安通りにまで移った。旅館街も…
新宿慕情 p.040-041 旺盛な新宿の活力が、この一帯までを盛り場として侵蝕し、境界線はさらに後退して、職安通りにまで移った。旅館街も…

出かけようとして、靴がないことがわかった。やむなく、警視庁に電話を入れ、課長別室付きの、巡査部長の運転手クンを呼び出した。
「いったい、どうしたのです。朝になって、〝犯行〟が発覚して、〝指名手配〟中でしたよ」
「イヤ、おれたちにも、良くわからんのだよ……」
「課長も心配してましたよ。二階の窓は明け放しだし、庭にはフトンが散乱しているし……」
「スマン。……ところで、靴があるかい?」
「持ってきましたよ。で、どこです。クラブでしたら、届けましょうか?」
「イヤ、クラブじゃないんだ」
「どこです?」
「二、チョ、ウ、メ……」
「二丁目? 新宿の?」

「オイ、オイ。そう、大きな声を出すなヨ。タノム、済まんが届けてくれよ。……出られないんだ……」

「イヤァ、あの座敷の落書だけでも呆れたのに、新宿の赤線にいるんですか?」

かくて、ナンバー・三万台(官庁公用車の番号は、すべて三万ではじまっていたので、公用車をそう呼んでいた)の、課長専用車が、新宿の赤線にピタリと横付けされることになる。もしも、どこかの新聞記者が、その光景だけをみかけて、写真を撮っていようものなら、大特ダネだったろう。

若く、真面目な警察官である運転手クンがいった。

「イヤァ、記者サンというのは私たちの想像を絶するようなことをなさるんですなァ!」

「ナニ、〝心のふるさと〟に里帰りしただけサ」

按ずるに、課長宅の上等な客ブトンが、紅楼夢を誘ったもののようだった。

数日後に、課長がいった。

「オイ、オイ。おかげで、日曜日が一日ツブれたゾ。フスマは経師屋に頼んだけど、壁は、オレが塗り直したンだ。……子供たちはよろこんでいたがネ」

ほぼ同年輩の課長クラスは、もう、総監やら警察庁次長、内閣ナントカ室長などと栄進していて、あんな〝遊び〟は、もうできない地位になっている。

トップレス・ショー

東へ広がる新宿

二幸ウラの都電通り(いまの靖国通り)を境に、そこまでが新宿の盛り場だったのが、昭和三十一年にコマ劇場ができ上がると、街が深くなって、コマ劇場の裏通り(風林会館から大久保病院にいたる通り)が、盛り場の境界線となって、歌舞伎町が誕生した。

その奥、東大久保町は、それこそ、文字通りのベッド・タウンで、〈連れこみ〉旅館街である。その区別は、画然としていたのだった。

ところが、旺盛な新宿の活力が、この一帯までを盛り場として浸蝕し、境界線はさらに後退して、職安通りにまで移った。旅館街も、そこから大久保通り(国電の大久保、新大久保両駅を結ぶ通り)との間と、明治通りの西大久保側とに、追いやられてしまった。

ついでながら、昭和二十年代には、〝サカサ・クラゲ〟であり、〝連れこみ〟であったのが、三十年代には〝アベック・ホテル〟となり、四十年代には〝ラブ・ホテル〟と変わった。

かつては、女性が、男性に連れこまれ(拒否的フンイキがある)た旅館だったのが、ついでアベ

ック(ためらいの感じ)となり、いまでは、享楽的な語感を持つラブになった——女権の伸長というべきだろうか。