二十五日間も暮したが、誰もブタ箱などという者はいない。つまり、往時の、不潔極まりない房内から、ブタ箱という名が生れたのだろうが、出たり入ったり、また出たりのオ馴染みさんで
さえ、留置場という。ブタ箱という名は、全くすたれたようだ。
それほどに、留置場は清潔であり、目隠し塀のついた水洗便所、消毒された毛布、白いゴハンと、設備、待遇ともに、犯罪容疑者の詰め所としては、立派であった。
それにしても、電話とは!
私はまだ、記者クラブにでもいるような、錯覚におちいった。呼びかけた男の顔をみて、留置場だナ、と思い返したほどである。大辻司郎と吉屋信子、この二人にフランキー堺を足したような顔のその男は、〝浅草のヨネさん〟といわれる、パン助置屋の主人であった。
管理売春という、売春防止法でも重たい罪の容疑で入っている男だったが、人柄は極めてよくフランキーのような明るさと機智とを持っている男だった。
私がこの房に転房してきた時、先客が二人いた。カタギの私は、この別世界の礼儀作法を良くは知らなかったが、普通の人間社会の礼儀を準用すれば間違いはないと考えた。
「どうかよろしくお願いします」
私は頭を下げた。両手をつくほどの必要はあるまいと思ったので小腰をかがめただけだった。
「十一房、ロの二六五番」というのが、私の認識票で、それが書きこまれた、小さな木札を入口の表札差しに、差しこんでおくのだ。
「……」
先客二人も、軽くうなずく。私はその房では新入りなので、一番奥の、一番下座である便所の
そばに腰を下した。
二人の世界が、彼らの意志とかかわりなく、三人になったのだから、この第十一房という、 小さな社会の構成要件が変ったことになる。つまり、革命だ。新しい社会秩序を確立しなければ、誰もが落ちつけない。
それには、この新入りの階級的出身と、社会的序列とを知る必要がある。旧支配階級が声をかけた。
「あんた、何です?」
何罪でパクられたのかということだ。私は心中ニヤリとした。この質問を待っていたからである。留置場でも、生活の智恵は必要である。
〝小さな喫茶店で、タダ黙って〟と、恋人と二人きりでいるようなワケには参らんのだった。
「ウン……。(ちょっと口籠って、どう説明したら判ってもらえるのかな、といったようなハッタリをつ
けて)つまり、難しくいえば犯人隠避といって……」
(写真キャプション)「最後の事件記者」は東宝で映画化、問題作に……