最後の事件記者 p.264-265 班長の帯革ビンタ

最後の事件記者 p.264-265 「三田候補生。下腹に力を入れ、両脚を開け。眼を閉じ、歯を喰いしばれ!」「心の弱い者には、班長はこのような教育はしない。心の強い者には、強い教育が必要なんだ!」
最後の事件記者 p.264-265 「三田候補生。下腹に力を入れ、両脚を開け。眼を閉じ、歯を喰いしばれ!」「心の弱い者には、班長はこのような教育はしない。心の強い者には、強い教育が必要なんだ!」

この温県は大変水の悪い所で、飲料水は村にたった一つの井戸だけ、他の井戸は雑用水にしか使えなかった。そこで、隊にも炊事の前に二つのドラムカンがあって、一つが飲料水、他が雑用

水として汲み置いてあった。

ある日、演習が終って、斑長の洗面水を汲むため、私は戦友より先にかけつけた。雑用水の蓋をとってみると、南無三、カラっぽである。飲料水はとみると、満々と入っている。ところがヒシャクが見えない。兵は拙速を尊ぶのだ。あたりを見廻したが、幸い人影がない。ままよとばかりに、私は洗面器を飲み水のドラムカンに突込み、班長のもとにかけつけた。

その夜である。ローソクの灯で自習をしていた私は、下士官室へ呼ばれた。すでに消燈はすぎて、夜も大分ふけていた。私の教育班長は、埼玉出身の飯田伍長。志願で入隊して下士候隊を卒業したての、十九歳ばかりの、それこそ火の玉のように張り切った男だった。もちろん、私より数年も若いのだ。

「三田候補生。下腹に力を入れ、両脚を開け。眼を閉じ、歯を喰いしばれ! 何で呼ばれたか判っているか。人が見ている、見ていない、それによって、行動が変ってよいか」

「………」

「お前はやがて将校になる兵隊だ。将校とは皇軍の根幹だ。心にやましくして、部下を率いられると思うか」

「心の弱い者には、班長はこのような教育はしない。心の強い者には、強い教育が必要なんだ!」

飯田伍長は激しい言葉でそう叫ぶと、身構えた。カチャと、帯革のサンカン(バックルというか尾錠というか)が鳴った。私は眼をつむったまま、これは大変だゾと心で身構えた。眼を傷つけない

ようにギュッとつぶり、ホオの肉をちぢめて、口の中を歯で切らないように力を入れた。

ビシリーッ、あの幅広の兵隊バンドが、私の下アゴに喰い入ると、その先のサンカンが反対側の首すぢにビシッと当る。班長がバンドを引ッ張ると、よろめく私は、たちまち次の一撃を喰って立止る。ビシリーッ、ビシリーッ。

私の耳と、眼を、故意にさけているその叩き方に、班長の〝愛情〟が感じられて、私は冷静に眼を見開いた。背の高い私に、班長は躍り上るような感じで、帯革を振う。だが、その両眼からは、大粒の涙がさんさんと流れ出ているではないか。

「三田、覚えていろ! 強い奴には強い教育が必要なンだゾォ!」

十九か二十歳のその班長は、それこそオロオロ声で泣きじゃくりながらも、一点を凝視しながら立っている私に、なお、帯革ビンタを振いつづけていた。——この男も、南方に転戦して連隊と一緒に、あの焔のような生命を消してしまったと聞いている。

この松木次長には、ただの一度だけれども、教官らしく教えられたことがある。兵器の部品輸送の包装紙として、古新聞の供出運動が行われた。私はその記事の中で、「一世帯あたり三十枚の割当も、〝古新聞も兵器だ〟の合言葉に応じて……」と書いたものである。

第一夕刊のその記事には、〝古新開も兵器だ〟という見出しが使われていた。インクの香も快よい刷り上りの夕刊をみて、松木次長はいった。

「見出しに使える言葉を、原稿の前文に入れるのだ。それが原稿の優劣さ」と。

ニコリともしないこの一言が、松木次長の教育らしくない教育の中での、たった一度だけの教青らしい教育だった。