最後の事件記者 p.288-289 読売第一の名文家、羽中田誠次長

最後の事件記者 p.288-289 私は、毎日必ず一本の「いずみ」を提稿した。最高記録は一月で八本、三十本も提稿して八本載ったのが限度であったが、そのうちの二、三本は、必ず記事審査委の日報でほめられていた。
最後の事件記者 p.288-289 私は、毎日必ず一本の「いずみ」を提稿した。最高記録は一月で八本、三十本も提稿して八本載ったのが限度であったが、そのうちの二、三本は、必ず記事審査委の日報でほめられていた。

文章のケイコ

こんな、ノガミの住人たちのことを書いていたら、それこそキリがない。こうして、社会の最下層の、しかも、どちらかといえば法律をくぐっているカゲの人たちの、生活や意見も知り、警察の事件というものを学んでゆくのである。

もちろん、警察官たちとも親しくなる。これがニュース・ソースである。若い刑事もやがては昇任し、記者がヴェテランになってゆくころには、彼らも重要な地位を占めてくるのである。

私は文章のケイコにもと思って、サツ廻りの間中、毎日必らず一本の「いずみ」を提稿した。

「いずみ」というのは、社会面の一番下にある、小さなゴシップ欄である。この欄では、どんな大きな話も冗文は許されない。それこそ、サンショは小粒でも、あるいは寸鉄ともいうべき、文章が要求される。

そして、この欄には一本百円の取材費がついている。「いずみ」には、それらしいニュース・ヴァリューがある。これがなければ、どんな小話を持ってきてもダメである。

デカたちは、大事件のニュース・ヴァリューは、やはり判る。しかし、「いずみ」のそれは判りっこないのだ。だから、このネタを探すとなると、デカたちとの雑談しかない。その雑談の中で、ピカリと光るネタ、これを毎日一本みつけるということは、確かに大変な努力である。

しかも、折角、提稿しても、よそからもっと面白いネタがきていればボツだ。同じ程度なら、

文章で採否がきまる。それこそ、原稿の練習にはもってこいの場である。

私がこの「いずみ」を送稿すると、読売第一の名文家を謳われた、現娯楽よみうり編集長の羽中田誠次長が、講評してくれる。そして最後は、「大きな原稿も書けよ」だった。しかし、私の最高記録は一月で八本、三十本も提稿して八本載ったのが限度であったが、そのうちの二、三本は、必らず記事審査委の日報でほめられていた。

新聞記者の能力は、取材力と表現力とが車の両輪のようなものだと、前に述べた。だが、現実の新聞記者で、そのような能力のある人というのは、二、三割がいいところだ。

昔の記者は分業であった。着物を尻端しょりにしたのが、ハンテン、モモ引で、鳥打帽子の〝探訪〟が取材してくると、社に待ち構えている〝戯作者〟が、矢立の筆を取って、探訪の話を聞きながら、サラサラと美文調にまとめるのだ。記者がタネ取りとさげすまれた時代だ。

これで、果して、新聞は真実を伝え得るだろうか。当然、このような状態は打破されなければならない。しかし、私の先輩たちにも、このような表現力か取材力を欠いた人たちがいた。「何某さんが、原稿書いたのを見たことがあるかい?」後輩たちのこんなニクマレ口が自然に出てくるのだ。

メッセンジャー記者?

そして、それは現在にも引きつがれている。どんな能力も、日頃の練習なしにはのび得ない。