キルレンの黒幕・アメリカの石油資本と肥料業者」タグアーカイブ

黒幕・政商たち p.040-041 日本は約半分の値段で生産

黒幕・政商たち p.040-041 日本の推すプランが、御破算になってしまった。キルレン氏が陰で糸を引いており、彼の黒幕は、アメリカの石油資本と肥料業者の一群だった。
黒幕・政商たち p.040-041 日本の推すプランが、御破算になってしまった。キルレン氏が陰で糸を引いており、彼の黒幕は、アメリカの石油資本と肥料業者の一群だった。

某氏(現職の関係で特に秘す)は、第一番に、AID当局の職員の質を問題にする。殆どすべての職員が、〝出稼ぎ人根性〟で、もちろん、米本国へ帰って国務省の職員になれる程度の人物はいないという。そこから、バイ・アメリカンで米国商社、また、援助を受ける現地商社との〝黒い〟関係が生ずる。

この言葉は、私たちにマ元帥の下で、占領軍として日本を支配した彼の幕僚たちを想起させる。新聞を握った少佐は、田舎町の記者であり、国鉄をアゴで動かした中佐は、また駅員だったという実例である。

韓国肥料工場の怪

アメリカは、AIDで韓国に肥料工場を造った。だが、その工場ができるまでの経過を調べてみると、ここにも〝黒い疑惑〟が生れてくるのである。そしてこのAIDという巨大な怪物と闘う、日本商社の、対韓経済協力の姿がある。

三井物産の西島常務は、熱っぽい口調で、韓国の肥料工場建設をめぐる、日米の対立、主として、AIDの不可解な動きを語り、人材の点でも、前出某氏の言葉を裏付ける。

「アメリカの対外援助は、かつてはほとんど消費物資ばかりで、戦後の緊急の場合だったので止むを得なかったろうが、生産手段を援助しなかった。もともと韓国は食料が不足しているのは、人口増加率に農業生産が追いついて行けないのだ。

何故かといえば、農業技術が低いし、肥料が足りない。反当り米収穫量は二三七キロで日本の半分だ。そこで、肥料の生産設備が必要になってくるが、アメリカは、AIDの前身ICA

(ケネディ時代に、対外援助がAID一本にされた)で、忠州に尿素の肥料工場を作り、西独資本が羅州に、同じ尿素工場を造った。ところが、これでも尿素肥料は需要量の五割だ。足りないからヤミ値が出る。

そこで、我々は日本の対韓協力として、尿素工場建設の話を進めた。アメリカは調査団を送りこんできて、『韓国の土壌には混合肥料が必要だ』という。それ以前に尿素による土壌の改良が必要なんだ。窒素や燐酸カリなどの混合肥料ではない。それなのに、AIDで、第三、第四工場として、混合肥料の工場を造る計画を打出す。これは、在韓AIDであるUSOM(米韓経済協力所)の所長キルレン氏が強力に押す。

これに対し、日本は第五工場として、尿素工場の計画を推すという対立になった。しかも、この工場の尿素は、第一、第二工場の約半分の値段で生産されることになる。つまり、アメリカの肥料は、極めて高いということになる。

日本の推すプランが、韓国政府に受入れられておりながら、何だ彼だという問題があって、この日韓交渉はとうとう、六三年十二月に流れてしまい、御破算になってしまった」

西島常務は、その詳しい経緯を語ろうとしないが、その辺の事情を、外交評論家中保与作氏は、ズバリと「ここにいたらしめたものは一体何であったろうか。消息筋がひとしく伝えたのは、キルレン氏が陰で糸を引いており、彼の黒幕は、アメリカの石油資本と肥料業者の一群だ

ったのである」(東洋経済39年11月28日号)と、断言している。

黒幕・政商たち p.042-043 〝黒い霧〟ブームで暗躍が

黒幕・政商たち p.042-043 AIDはもちろんのこと、日韓協力にすら〝黒い霧〟はみなぎっていた。果して、現地商社——現地政府への政治献金という、カゲは考えられないことだろうか。
黒幕・政商たち p.042-043 AIDはもちろんのこと、日韓協力にすら〝黒い霧〟はみなぎっていた。果して、現地商社——現地政府への政治献金という、カゲは考えられないことだろうか。

西島常務は、その詳しい経緯を語ろうとしないが、その辺の事情を、外交評論家中保与作氏は、ズバリと「ここにいたらしめたものは一体何であったろうか。消息筋がひとしく伝えたのは、キルレン氏が陰で糸を引いており、彼の黒幕は、アメリカの石油資本と肥料業者の一群だ

ったのである」(東洋経済39年11月28日号)と、断言している。

私が、この記事を手がかりに調査を進めていってみると、六三年秋の日米経済委が、ケネデイ暗殺事件で流れたのも、日本側の抗議が国務省に伝わらなかった原因の一つでもあり、キルレン氏の〝黒幕〟と目されているのは、ガルフォーエルとか、スイピト投資団などであるらしいと考えられるようになってきた。中保氏はいう。「韓国農民の犠牲に於て、アメリカ資本に奉仕しようとするものにすぎなかった」(前出同誌)

アメリカが混合肥料を推すハラの中には、燐鉱石を売りつけたいという気持もあったに違いない。しかし、日本側の正論の前にアメリカの正義も動いた。関係者の大幅な人事移動がはじまったのである。キルレン氏はベトナムに転じ、在日大使館の経済参事官だったドーティ氏が在韓副大使となって、交渉再開のチャンスがめぐってきた。

六四年五月に交渉が再開されついに四十年の七月に日韓両国政府の正式許可がおりて、この尿素工場は決定した。日韓条約調印後の経済協力第一号であり、民間借款三億ドル以上のうちに含められる、初の大仕事だ。

六六年末に完成、稼動の予定だが、日本にもない、年間三三万トン生産、四、四〇〇万ドルという規模は、契約当事者三井物産、東洋高圧の技術提供という大手商社にして、はじめてなし得られる、経済協力であろう。

というのは、民間借款が、条約の成否とは関係なく可能なところから、これまでは、ともすれば〝黒い霧〟ブームで、利権政治家、政商、それらを結ぶ記者などの暗躍がすさまじく、大手商社としては、オーソドックスな経済協力として、その捲き返しを、事実をもって示さねばならなかったものである。

これらの事実から判断すると、AIDはもちろんのこと、日韓協力にすら〝黒い霧〟はみなぎっていたということで、さらには、果して、現地商社——現地政府への政治献金という、カゲは考えられないことだろうか。

対韓協力8億ドルのリベート

さる四十年十月十一日発表された、通産省貿易振興局の「経済協力の現状と問題点」白書によればアメリカの対外援助は、①AID、②輸出入銀行、③平和のための食糧計画、④平和部隊の四つで、これらの総額の半分以上は、AIDの担当する海外援助法に基づく援助である。もちろん、軍事援助は別である。

韓国銀行経済統計年表によると、米国の対韓援助額は、AIDと余剰農産物合計で、六〇年二億四千五百万ドル(余剰農産物千九百万ドル、以下同じ)、六一年一億九千九百万ドル(四千四百万ドル)、六二年二億三千二百万ドル(六千七百万ドル)、六三年二億一千六百万ドル(九

千六百万ドル)、六四年一億四千九百万ドル(六千一百万ドル)=以上いずれも百万ドル以下切捨て=とある。