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読売梁山泊の記者たち p.218-219 「菊池寛賞」受賞

読売梁山泊の記者たち p.218-219 「読売新聞社会部、原四郎を中心とする、同社会部の暗黒面摘発活動」が、受賞に該当する、として、昭和二十八年三月六日発売の文芸春秋誌に発表された。そして、クラブ・マンダリンの国際バクチのスクープは、この受賞が発表されて、旬日余の後のことであった。
読売梁山泊の記者たち p.218-219 「読売新聞社会部、原四郎を中心とする、同社会部の暗黒面摘発活動」が、受賞に該当する、として、昭和二十八年三月六日発売の文芸春秋誌に発表された。そして、クラブ・マンダリンの国際バクチのスクープは、この受賞が発表されて、旬日余の後のことであった。

昭和二十七年秋の、「東京租界」の成功が、改めて、〝社会部の読売〟をアピールして、同年度を第一回とする、財団法人・日本文学振興会による、「菊池寛賞」の新聞部門を、原四郎が獲得したのであ

った。

「読売新聞社会部、原四郎を中心とする、同社会部の暗黒面摘発活動」が、受賞に該当する、として、昭和二十八年三月六日発売の文芸春秋誌に発表された。

選考は、同年二月二十四日、大谷竹次郎、山本有三、石川武美、阿部真之助、永田雅一五氏(振興会最高顧問)が出席、文学振興会が推せんを受け、かつ、独自にも選んだ候補から、五部門の授賞が決定された。

もちろん、読売社会部の「暗黒面摘発」は東京租界ばかりではない。原が社会部長に就任してから、新宿粛正やら、立正佼成会キャンペーンなど、読売の評価を高める、数多くの紙面活動があった。

それらの総合得点に、ダメ押しとなったのが、前年秋の東京租界だったのである。そして、クラブ・マンダリンの国際バクチのスクープは、この受賞が発表されて、旬日余の後のことであった。

第五章 異説・不当逮捕、立松事件のウラ側