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最後の事件記者 p.034-035 分離希望の第一号はニュースだと感じた

最後の事件記者 p.034-035 会って話を聞いてみると、分離希望の第一の根拠は、『もう、共産党はゴメン』ということだった。家庭教師の口は断られ、就職が内定していた会社は取消す、妻は臨月で、もう喰って行けないのだ。
最後の事件記者 p.034-035 会って話を聞いてみると、分離希望の第一の根拠は、『もう、共産党はゴメン』ということだった。家庭教師の口は断られ、就職が内定していた会社は取消す、妻は臨月で、もう喰って行けないのだ。

Kという東大工学部大学院の学生であった。彼は、メーデーに参加して、あの騒ぎが始ま

り、落したメガネを拾おうとしたところを、警官に殴られたので殴りかえしたという、検挙第一号の男だった。

私選弁護人を頼んできた理由というのが、統一公判を受けていたら、一体何時になったら終るのか判らないし、公判の度に休まねばならない。メーデー事件の被告というだけで職にもつけない、という悩みからだという。

そのころ、メーデー公判は、「統一なら無罪、分離なら有罪」と、しきりに宣伝されていて、被告団の結束を固め、法廷斗争を行っていた時期だった。村木弁護士に聞けば、さらに二人の被告が、分離を希望して相談にきているという。

私は、このようなメーデー公判の客観状勢を知っていたので、この分離希望の第一号はニュースだと感じた。しかも、K被告だけではなく後にも続いているという。

共産党はもうゴメン

車を飛ばして、練馬の奥の方のK氏の家を探した。会って話を聞いてみると、分離希望の第一の根拠は、『もう、共産党はゴメン』ということだった。家庭教師の口は断られ、就職が内定し

ていた会社は取消す、妻は臨月で、もう喰って行けないのだ。だから、共産党でないということを、客観的事実で示したい――というのである。

私は心中ニヤリとした。いわば、彼の立場は〝裏切者〟第一号である。

『宜しい。あなたが共産党でないことは、記事の中にハッキリ書いてあげましょう。共産党とされて、喰って行けなくなったのだから、それを明らかにすれば、道は通ずるでしょう。そのことを手記にして、弁護士に訴えなさい。それがニュースのキッカケになるのですから……』

こうして、その記事は「自由法曹団をやめないと、真実はいつまで経っても判らない」という、共産党の指令のもとに、法廷斗争という戦術の場に、メーデー公判を利用している自由法曹団を、被告という内部から批判したものとしてまとめられた。

十月一日の投票日の数日前に、私はその原稿を提稿したのだったが、選挙前で紙面がなく、しばらくあずかりになっていた。

ところが、共産党の候補者が全滅し、それに対する論調が賑っていた十月三日の夕刊に、それがトップで掲載されたのである。「共産党はお断り」という、大きな横見出しが、開票直後だっただけに、凄く刺激的で、効果的だった。

最後の事件記者 p.040-041 インテリに本音を吐かせる

最後の事件記者 p.040-041 インテリは追いつめられなければ、本当のことをいわない。ここまで、本当のことをいわせるのが、 記者の取材力である。インテリほどインチキなお体裁ぶり屋はいない。
最後の事件記者 p.040-041 インテリは追いつめられなければ、本音を吐かない。ここまで、本当のことをいわせるのが、 記者の取材力である。インテリほどインチキなお体裁ぶり屋はいないのである。

インテリはお体裁屋

スクープは造られるものだ、と私は信じて疑わない。新聞記者が好んで使う、「これはイケる!」「イタダケる」という言葉自体にそのことが現れている。ニュース・バリューの判断ということは、何を基準としていうのだろうか。

K氏はメーデーに参加して、たまたま検挙された。そして、〝悪質(暴力的な)な共産党員〟という、レッテルをはられた。その結果、彼は生活に窮してきた。彼はその言葉によると、共産党でもないし、悪質でもない。だから、このレッテルの下に生活に窮するということは、何としても不合理である、と考えた。そのレッテルから逃れるため、分離公判を受けたいと願って、村木弁護士のもとを訪れたのである。

そのことを、たまたま知って、彼のもとを訪れた私は、彼に何を訴えたいか、何を期待したいのか、とたずねた。彼は、共産党でないということを明らかにしたい、(それは、それを明らかにすることによって、取消された就職口や、家庭教師の口を回復し得ると期待したのであろう。)もちろん、そのために公判を分離しようと思った、というのであった。

このような本音は、ことにインテリといわれる種類の人たちにとっては、それこそ本当に追いつめられてこなければ、吐けない言葉である。ここまで、本当のことをいわせるのが、 記者の取

材力である。インテリほどインチキなお体裁ぶり屋はいないのである。

私が兵隊の時に負傷したことがある。その傷口と出血をみて、私は脳貧血を起しかけた。頭がジーンとなって、気が遠くなってゆくのを感じた時、「アア、俺は将校なんだ。こんなことで卒倒したら、笑いものになる!」という、お体裁の意識がヒラめいて、辛くも気を取り直したことがあった。

もっとも、これは、もし倒れれば、明日から将校として兵隊を使うことができなくなる、という実利的な問題もあったのだが。

ロッキードとグラマンが、決算委で問題になっている当時、ある防衛庁高官が、赤坂のアンマさんに暴行を働らいた、という事件が明るみへ出ようとした。この事件は、いろいろと止め男が出てきて、とうとうモミつぶされてしまったが、私が調べてみた限りでは事実である。

しかし、暴行の内容であるが、いわゆる強姦したのかどうかまでは、明らかではない。襲われた本人や、同僚の話によってみると、この防衛庁高官が、二十一歳のアンマさん(もちろん、正眼の娘さん)に、いわゆる襲いかかってきたことだけは確かである。

議員だからインテリではない、といったような逆説はやめて、国防大臣ともいうべき人だか ら、いわゆる知識人の範ちゅうには入る人物である。

最後の事件記者 p.046-047 新聞記者は全くのウソは書かない

最後の事件記者 p.046-047 私はこの論文に大ナタを振って、話し言葉に近い部分と、赤いといわれて食えない、という部分だけを残した。そうして、他の二名の分離希望の被告の話とをまとめて、原稿を書きあげたのである。
最後の事件記者 p.046-047 私はこの論文に大ナタを振って、話し言葉に近い部分と、赤いといわれて食えない、という部分だけを残した。そうして、他の二名の分離希望の被告の話とをまとめて、原稿を書きあげたのである。

彼の手記なるものは、彼の気持と全くウラハラな、例のむづかしい漢語の多い、公式的共産党的声明文であ

る。「…し得る権利を保有したい。」といった調子である。

学芸欄の論文じゃあるまいし、こんなものが全文社会面に載ると思って書いたのだろうかと、私はK氏頭脳を疑った。インテリだから、文字にするとなると、自分の願っていることと、全くウラハラな漢語をつづり合せてしまうのである。

私はこの論文に大ナタを振って、話し言葉に近い部分と、赤いといわれて食えない、という部分だけを残した。そうして、手記の量が減ったので、弁護士のもとに申し出ている、他の二名の分離希望の被告の話とをまとめて、原稿を書きあげたのである。

私の記者としての問題というのは、この手記の要約の仕方である。K氏は抗議していうことには、「中学校の生徒に文章を要約させたとしても、もし私の手記をこのように要約したとしたら、教師は多分落第点をつけるであろう」という。

今、素直にいって、この手記要約の抗議については、私は彼の言い分を正しいと思っている。しかし、手記以前の問題「赤いといわれて食えない」という、根本的な問題において、 彼の主張を私はいささかも、まげてはいないと信じている。彼が、読売新聞の記事によって、〝赤くない〟という客観的立証を期待した限りにおいては、この記事はそれを立派に果しているのである。

そして、その当時においては、共産党と自由法曹団にとっては、強烈な打撃であったことは確かであろう。

その後のK氏が、果して食えるようになったかどうか、記事のその意味での効果については、私は調べてみなかったので判らない。私は、K氏の抗議を結論として、全面的に突っぱねたのである。記者として、取消から訂正などを出すということは、大変に不名誉なことである。

それは、彼の取材が不正確であったし、原稿の書き方が下手だ、ということだからだ。新聞内部の組織からいって、このような間違いの責任は、取材記者本人と、その原稿を採用して紙面に載せた当番次長、さらに社会部長ということになる。

一人の記者が、相手の抗議を入れて、しばしば訂正をし、取消しをしていたならば、それは記者としての失格を意味する。だから、新聞記者は訂正や取消しを頷じえないのである。新聞社が、訂正や取消しを簡単にしないのではなくて、その担当記者がしないのである。

長い年月と、費用とをかけて、これを裁判で争うだけの覚悟がなければ、新聞に抗議を申しこむのは、ドンキホーテである。新聞記者は、一、二の例外をのぞいて、全くのウソは書かないか

らである。もし、全くのウソを書いたとすれば、それは、ニュース・ソースがウソをついたか、全く善意の過失かの、どちらかである。