『まだ、名前を申しあげてませんでしたが、私はこういう者です』
彼女は好意にみちたまなざしで、私の名刺に手を出した。が、次の瞬間、彼女はガバと机にう
つぶしてしまった。心持ちゆれてる肩をみつめながら、私は「イタズラがすぎたかな」と、スハといえば逃げられるように身構えながら、黙ってみつめていた。
数分後、やっと彼女は顔をあげた。そして、自分のダマされッぷりに、恥かしそうに笑いながら、哀願したのである。
『アノ、何でもしますから、どうか、このことは誰にもいわないで下さいね。ことに新聞の人に……』
私もホッとして、ニヤニヤしながら、
『じゃ、お茶でもオゴンなさい』
といった。「第一、女の人が男に向って、何でもしますから、なンて頼み方をすれば、誤解されますよ」と、つけ加えた。
二人でお茶をのみながら、「第一、私が警察官、ことに警部補に見えますかね」と、彼女の人をみる眼のなさを叱ると、答えた。
『こんな話の判ったお巡りさんを、少年主任にしておくなんて、署長さんはエライと思い、警察も民主化したな、と感じながら、あなたのお話しを聞いていたンです』
その警察に、私はパクられたのである。
帝銀事件の面通し
帝銀事件の時は、記者の心理につけ入って仕事をしたことがある。帰り新参の私は、まだあまり各社の記者に、カオが売れていなかったので、できた芝居だったのである。
事件が起ると、読売〝捜査本部〟は、Sという人物を調べ出して、これこそ犯人なりと、確証をあげるべく必死の〝捜査〟を行っていた。デスクは、Sの写真を渡して、「これを生き残りの四人に見せて、面通しをしてこい」という。
入院先の聖母病院へ行ってみると、四人の病室への廊下が、入口で閉められていて、巡査が立番している。はるかに見通すと、病室のドアのところにも一人、制服の巡査が張り番だ。これではとてもダメだと思ったが、しばらく様子をみることにした。
各社の記者たちが、お巡りさんと口論している。「入れろ」「入れない」の騒ぎだ。私はそれをみると、急いで外へ出て、四人のうちの一番若い娘さんの友人を探し歩いた。ようやく学校友だちをみつけて、彼女に、一緒に見舞に行ってくれ、と頼みこんだ。