当時の私で、社歴十三年。特オチで社へ上がらされて、遊軍席にはいるが、八、九年生ぐらいの〝軍曹〟が遊軍長で、私は別格。日勤、夜勤、泊まりなど勤務は除外されている。いうなれば軍曹の上にいる〝特務曹長〟格なのだ。
その私が、〝知らない男〟が遊軍席にいる。不審に思って、数日後にきいてみた。
「オイ、お前。毎日、社会部にいるけれど、一体、どこの人間なんだ?」
「ハイ。ザ・ヨミウリ(読売発行の英文紙)の記者で、小宮山といいます」
「フーン。ザ・ヨミウリなら、隣の別館だろ? それが、なんで毎日、社会部にいるんだ?」
「ハイ。大事件があった時に、ザ・ヨミウリに、すぐ連絡する係なんです。どうか、よろしくお願いします」
「ヘェー。ザ・ヨミウリってのは、人間がタップリいるんだなあ。……じゃなんかい? ペラは得意なんだナ」
「イエ、アメリカの大学に行った、というだけで、ペラはダメなんです」
「アッハッハァ。それで、連絡係か! だけど、仕事がラクでいいじゃないか」
「イヤァ、間が持ちません」
「ヨシ。それじゃ、オレが然るべく仕事を手伝わせてやるョ」
これが、平和相互銀行の小宮山一族だと、その当時に知っていたら、私の人生も、あるいは変わっていたかも知れない。
本人は、キチンと礼儀正しく、しかもへり下った態度だったから、イジメたりはしなかったが〝大の男〟が、丸一日、これといってする仕事もなく、大事件の連絡係だけ、というのだから、能力的には軽蔑していて問題にしなかった。
いまの、ご本人の小宮山先生には失礼な〝むかし話〟だが、政界進出のための〈履歴作り〉だったのだろう。だが、感じのよい青年ではあった。
喫茶店通いの余禄
前置きが長くなったが、〝若き日の小宮山読売記者〟にご登場を願ったのも、実は、コーヒー飲みの、喫茶店ばなしなのである。
その当時、読売本社のすぐ近くに、「いこい」という喫茶店が新開店した。藤尾さんという丸ポチャのママが、若く、可愛い姉娘と、美人の妹娘、というふたりの女の子を使っているのだから、〝温まる席のない〟社会部の連中が、セッセと通う。みな、それぞれにお目当てがあってのことだ。
気がついてみると、遊軍の大ボスで、時間が自由な私と、することがなくて、暇をモテ余している小宮山クンとが、一番通いつめていて、しかも、たがいに姉娘をハリ合っていたのだった。つまり、小宮山法務委員長と私とは、二十年前には〝恋仇〟だったのである。
いまだから〝衝撃の告白〟で、私は、姉娘を心身ともに〝私のモノ〟にした。小宮山クンは、数々のプレゼントをしていたのを、彼女の告白で知った……。