食うためには働らかねばならない。ここから彼らの勤労観は出発する。働らくよろこびなどおろか、作業の固定しているものなどは、ひたすら八時間の経過を待ちこがれ、歩合のものは労力を最小限に惜しむ。
ソホーズ(国営農場)コルホーズ(集団農場)は雑草のはびこるにまかせ、種芋を八トンまいても収穫が五トンしかないという事実が起きるが、住宅付属地として私有を許された自分の畑は、一本の草もなく豊かな稔りをみせる。憲法によって享有されている「労働の権利」は、「労働の義務」となって重たくのしかかっていた。
富めるものは、妻は家庭に子供は学校へやり、必要量のパンをバザールで買う。そのパンこそ、貧しいものが、一家総出で獲得したパンを割愛して売るパンである。「人間による人間の搾取のない国」で、一方は肥え太って美服をまとい、ラジオを備え、ミシンを買い、高い程度の生活をしているが、片方では「教育の権利」すら放棄して、食うことに追われている。
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四十九種族を包容するこの国には、ロシア語を話せない国民が沢山いる。私は入ソの車中、満州で拾ったロシア語の本で勉強したおかげで、警戒兵をだまして四、五軒の家庭にも行き、多く
のソ連人と話し合うことができた。彼らは私の片言のロシア語を聞いて、何年間日本でロシア語を習ったかとたずね、シベリアで習ったといっても本気にしない。
二十二、三才の学校出が、技師と呼ばれて別世界の人間のように尊敬されている。子供たちも学校へ行かないものが多い。八年生の歴史の教科書をみると、秀吉の木版のさしえがあって、朝鮮征伐のことが出ていたので、誰かと聞くと、日本の昔のゲロイ(英雄)だと答えたが、日本の帝国主義的侵略だと教えている。
女の軍医上級中尉に、地図を描いて千島列島を示したところ、フィリピンかといった。国内警備隊の地区司令官が盲腸炎になって、収容所内の病棟に入院し、日本軍医に執刀を求めるのも当然であろう。
機械類および自動車はすべて米国製で、ソ連製品はあってもほとんど動いていない。自転車や自動車を指し、真顔で「日本にこんな機械があるか」という質問を受けたことは、一度や二度ではなかった。
大きな炭坑町でありながら、小さな図書室とラジオが一つあるだけで、文化設備などもほとんどなく、満州からもってきたポータブルが一台、警戒兵の兵舎で、毎日「アメアメフレフレ」と
「モシモシカメヨ」をうたっているだけで、児童劇場など欧露の大都市のことだろうか。