——死ぬのかな!
不吉な予感が走る。もし、今夜の仕事が、張り込みにでもなっていたら、どうだったろうか。
私は妻の死に目にもあえない!
私は考えた。妻の死に目と、仕事のどちらをとるであろうか、と。
——私は仕事をとるだろう。新聞記者という仕事だから……。
——フン、その場に直面しない、仮説だからそんなことがいえるのだろう。
——バカな、オレは仕事をとるさ。現に今夜だって、もし取材が終らなければ、帰宅しなかっただろう。そうすれば、妻の死に目に会えないのじゃないか。仮説じゃないさ。
——そうか。それもよかろう。〝仕事の鬼〟ッてところだな。そんなに、仕事が大切なものなら、世の常の夫のように、妻のみとりもできないのなら、何故、結婚なンかしたんだ? 妻子が可哀想じゃないか。
——そりや、オレだって、家庭がほしいさ。第一、オレは子供を幸福にしてやりたかったんだ。
——フン。御都合主義だナ。それで、仕事と妻の死とでは、仕事をとるというのか。
——新聞記者だもの、仕方がないよ。
——記者、記者ッていうけど、新聞記者の仕事ッて、そんな大切なものなのかい。一体、何なのだね。
——エ?
私は二日間の完全な徹夜で、疲れ切っていた。流血死に近づいてゆく妻のまくらもとで、そんな自問自答を続けていたが、フト、新聞記者という職業についての、疑問が湧き起ってきた。
抜いた、スクープだ、といって、一体それがなんであろう。抜かれたといって、何であろう。新聞記者という奴は、何者なのだろうか。
医者がきた。血は止った。妻はコンコンと眠りに落ちた。死の影は遠のいた。新生児は生ぶ声をあげ、血を洗い流してもらって、安らかに眠っている。もう正午すぎである。
KRからの、ニュース解説の依頼がきて、録音に出かけた。六千円ばかりの謝礼をもらって社へ帰ると、「子供が生れたそうじゃないか。お祝いだナ」と、同僚たちがよってきた。ハシゴで飲み歩いて泥酔した。「新聞記者ッて何だろ」と考え続けていたようだ。その翌朝、玄関のドアの外で、私はグッスリとねむりこんでいた。三日目の朝である。