収賄と贈賄は活発」タグアーカイブ

最後の事件記者 p.082-083 「スターリン・プリカザール」

最後の事件記者 p.082-083 愚昧な労働大衆は、レーニンの像を立て、スターリンの絵を飾り、NKVD(秘密警察)の銃口を背に、五ヵ年計画へ追いまくられている。
最後の事件記者 p.082-083 愚昧な労働大衆は、レーニンの像を立て、スターリンの絵を飾り、NKVD(秘密警察)の銃口を背に、五ヵ年計画へ追いまくられている。

大きな炭坑町でありながら、小さな図書室とラジオが一つあるだけで、文化設備などもほとんどなく、満州からもってきたポータブルが一台、警戒兵の兵舎で、毎日「アメアメフレフレ」と

「モシモシカメヨ」をうたっているだけで、児童劇場など欧露の大都市のことだろうか。

ソ連の言葉に、「八時間労働、八時間睡眠、八時間オーチェレジ(買物行列)」というのがある。この三番目のオーチェレジは、イバーチ(性の遊戯)あるいはクーシャチ(食べもの)と、訂正されねばならない。それほど、この二つの問題が大きく浮び上っていた。ソ連人はすぐスパーチ(眠り)といって、手枕の格好をする。身を横たえる寝台一つに過ぎない住いは、一室に夫婦者、独身者、親子連れと雑居し、夫は零時から八時の深夜作業に行き、妻は八時より十六時の作業にという生活の食い違いに、ますます性道徳は乱れ、小さな子供までが、平気で性に関する言葉を放っている。

正当なる住民たちは、何も知らないでただ生きている。たのしい生活を、人間らしい生活を希求するまでに、彼らの知識はひらかれていない。こうして、愚昧な労働大衆は、レーニンの像を立て、スターリンの絵を飾り、NKVD(秘密警察)の銃口を背に、五ヵ年計画へ追いまくられている。

「スターリン・プリカザール」(スターリンの命令だ)の一言で、一切が解決される。〝言論の自由〟を与えられ、戦後第三年にいたるも、民需生産を抹殺している現政権の下に、人類の平和

と幸福のシムボルという赤旗を掲げながら……

          ×    ×    ×

最近、ソ連では人類愛的な見地から、死刑を廃止して二十五年の矯正(強制?)労役に服させることになったと報じられた。やがて収容所の糧秣係をしていた軍属が、糧秣を一般人に横流ししていたのが発党して、逃亡した。

芋畑に小銃を持つ番人がいる位に、ものを盗むことは重罪である。その軍属が捕えられた時に、ソ連主計大尉に「なぜこんなに刑罰が重いのか」とたずねたところ、彼は「重罰を課して再び前者の轍を踏ませないためである」と答えた。だが、数ヵ月後に新しい糧秣係が再び逃亡した。

ここで二つの解釈が下される。一つは重罪の危険をおかしてまでも、やらなければ食って行けないことであり、他の一つは、悪いことをやらなければ損なくらい、組織制度に欠陥のあることである。後者は二年間の各種作業場で知ったことだが、労働の量と質とを査定するところに、原因がひそんでいる。

一トン積のトロ台数で計算される採炭量は台数の計算係を買収することによって、自由に作業成績を向上し得る。収賄と贈賄は活発に行われ、上司も部下も、自らの腹が痛むわけでもなく

国家のをゴマ化すのであるから黙認する場合が多い。

最後の事件記者 p.084-085 「アメリカはすばらしい」

最後の事件記者 p.084-085 帝政時代のクラーク(富農)の老人は、ツアーリのいた時は、生活もたのしかったし、食物にもこんなに不自由はしなかった。日本もミカドがいなくなったら…
最後の事件記者 p.084-085 帝政時代のクラーク(富農)の老人は、ツアーリのいた時は、生活もたのしかったし、食物にもこんなに不自由はしなかった。日本もミカドがいなくなったら…

収賄と贈賄は活発に行われ、上司も部下も、自らの腹が痛むわけでもなく

国家のをゴマ化すのであるから黙認する場合が多い。

記録上で完成されねばならない仕事も、事実は未完成なため仕事は延長され「失業のない国」の理想のみ実現されている。

死刑囚まで働らかねばならないシベリアこそ、失業のない国の宝庫である。独ソ戦で独軍の捕虜となり、祖国戦勝の基を築いた二百万と称する勇敢な兵士たちは、米軍に接収されて、母国帰還と同時にシベリアに送られてしまった。

被占領地区で独軍に協力したという理由で、数多くの女子供が同様に送られてきている。また革命の時、現政権に好意をよせなかった人々も、囚人もみな五ヵ年計画によるシベリア開発に挺身しているが、彼らは何を感じ何を想っているだろうか。

          ×    ×    ×

帝政時代のクラーク(富農)の老人は、

『ツアーリのいた時は、生活もたのしかったし、食物にもこんなに不自由はしなかった。日本もミカドがいなくなったら、同じ目にあうからお前たちは可哀想だ』

と、帝政の昔をなつかしがり、独ソ戦の光栄ある捕虜の若者は、

『アメリカはすばらしい。うまい食べ物がたくさんあるし、よい服をくれたし、作業は楽だし、ほんとうにアメリカはよい国だ』

首に十字架を下げたウクライナの女は、

『私の夫はソ連兵に殺された。私の子供はどこかに連れさられた』と。

彼らは私とほんとうに二人切りの時に、語ってくれたのだった。彼らは知っている。身廻りのどこにいるかもしれない、おそろしいNKVDの銃口を!

元気な若者は、真剣に北部シベリアから、アラスカヘ出るアメリカヘの逃亡を考えて、私を誘ったこともあった。ソ連側から放送される米ソ戦の危機は、全シベリア住民の関心をたかめているが、彼らはいう。「その時は銃をすてて投降するサ」と。

シベリアの親米反ソの胎動は、NKVDの黒い幕のかげで起りつつあるが、スターリンの恐怖独裁政治は、まだしっかりとその幕を押えている。

三百人もの、老若美醜とりどりの女たちの、半分以上がクツもはかずに、ぞろぞろと群れ歩く周囲には、自動小銃が凝されているあの光景を想い浮べる時、ナホトカ港でみた船尾の日章旗と、舞鶴湾の美しい故国の山河の感激、上陸以来の行届いた扱いと温かいもてなしとに、有難い国日 本、美しい国日本と、目頭をあつくして、いまなおシベリアに残る六十万同胞の帰還の一日も早かれと祈るのであった。