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赤い広場ー霞ヶ関 p.146-147 孔祥熙の直系、冀朝鼎から出た金か…

赤い広場ー霞ヶ関 p.146-147 Michitaro Murakami was a complete red who had been forced to communize prisoners in Siberian camps. Tomi Kora and Michitaro Murakami's travel expenses came from a funds of the Chinese Communist Party...
赤い広場ー霞ヶ関 p.146-147 Michitaro Murakami was a complete red who had been forced to communize prisoners in Siberian camps. Tomi Kora and Michitaro Murakami’s travel expenses came from a funds of the Chinese Communist Party…

また同じ収容所にいた元憲兵少尉大塚六三氏の談によれば、『村上道太郎氏とは昭和二十二年冬

シベリヤのライチハ地区収容所以来、引揚るまで一諸でしたが、彼は収容所の民主グループのアクチブとして活躍、われわれ捕虜の強制的共産化に急先鋒となっていた。私や猿渡少佐(福岡出身)田代中尉(栃木出身)増崎中尉(福岡出身)ら将校グループは、アンチデモクラート、反動分子として彼のために何回も吊し上げにかかり「反動には再び日本の土を踏ませるな」とまでいわれ、引揚船の中でも彼が「生活資金五百円よこせ運動」や「職よこせ運動」などで、ストを指導しており、彼は完全に赤い思想の持主です』という。

当局のアナリストは別のファイルを取出して、ある情報と並べてまた考えた。その情報はこう述べている。

中国財界の巨星として有名な孔祥熙系の商社に揚子公司(在米)というのがあり、同社は中共への戦略物資輸出のため現在閉鎖されているが、同社からアルバート・リーと称する中国系米人が日本へ派遣され、同人がモスクワ経済会議の日本代表出席工作をやり旅費その他一切の資金を中国研究所所長平野義太郎氏に提供した。

平野氏は周知の通りモスクワ会議のためのコペンハーゲン準備会で日本側委員に選ばれ、中日貿易促進会を舞台に同会議出席を熱心に運動した人である。この金が平野氏から帆足、宮腰両氏に渡され、両氏らは香港まで自費で行き香港からはその資金によって旅行した。

ところがその金は孔祥熙氏の直系で、同氏が中共への寝返り工作に起用したといわれる中共系の中国銀行総裁冀朝鼎氏から出たもので、高良女史は冀氏とアメリカのコロンビア大学で同窓であり、北京で同氏と親しく会見していることなどから、村上氏らの旅費もここから出ているものと推測されている。

アナリストは結論を下した。『松山繁こと村上道太郎に関して不正出国の犯罪容疑はない。しかし、これは外事警察としての重要な視察対象である』と。

私はこの動きを察知して村上氏と高良女史とを訪ねてみた。二十七年八月九日付読売の記事によってそれをみてみよう。

記者は幾多の疑問を投げたまま姿をくらました村上氏を追って約十日間、ようやく箱根芦の湖に近い小田原営林署の姥子建設事業所内に妻よし子さんとともにいた同氏を発見、六日午後訪れた。取次から来訪者ときいて驚いた声で『名刺をもらったか?』というのを聞き、居留守を使われてはと強引に居室の戸を叩いて面会を求めた。『何しに来たんです。どうしてわかりました』と詰問調に問いかけながら『新聞記者に会うのははじめてです』とつぶやく。和服の着流し、油気のない長髪、指先がかすかに震えながらも、話す口調などはやはりある種のタイプだ。妻女は原稿の清書をしている。以下一問一答。

赤い広場ー霞ヶ関 p.156-157 日本人実業家・鮎川が依頼した?

赤い広場ー霞ヶ関 p.156-157 I tried to hear the facts from Tomi Kora, Kei Hoashi, Kisuke Miyakoshi, and Albert Lee, but all denied. A senior Chinese embassy said, “If you ask him, no one will admit it.”
赤い広場ー霞ヶ関 p.156-157 I tried to hear the facts from Tomi Kora, Kei Hoashi, Kisuke Miyakoshi, and Albert Lee, but all denied. A senior Chinese embassy said, “If you ask him, no one will admit it.”

一方孔祥熙はアメリカで揚子公司を創設したが、これは中共へ送り込む戦略物資

の買漁りをやったためアメリカ政府によって閉鎖させられた。そして揚子公司の東京支店として、昭和二十三年にアルバート・リーが日本に派遣されたらしいというのである。

この話を想像したのは日本の警備当局ではなく、はっきりと、アメリカの連邦検察局(FBI)で、日本の当局はそれに基いて行動していると言ってもよさそうだ。

記者は高良とみ女史に会って単刀直入に、訪ソ資金はどこから出たのかと失礼な質問をしてみたが、『全貯金を払い下げて行ったんですよ。私は北京で中国銀行総裁の冀朝鼎には会いましたが、彼はコロンビヤ大学の同期生だったから、懐しくて会ったにすぎない。帆足、宮腰両氏のことは知らないがあの人たちは日本から香港までは少くとも自弁でしたでしょう』と語った。

また当時香港では帆足、宮腰両氏に中共系の大公報記者が単独会見したとき旅費を渡したともいわれていたが、これは両氏に聞いてみると、『とんでもないデマだ』と二人とも否定した。アルバート・リー氏は『それは馬鹿げた評判である。私はアメリカ人だし共産党に資金を出すはずがない。アメリカでは政治的討論は自由だが、日本には旅行者として来ているのだから、政治的な話はしたくない。また揚子公司というのは孔祥熈ではなく宋子文がやっていたと聞いている。彼は蒋介石と義理の兄弟である。その東京支店は富国ビル内の三一公司がそれだと人に聞いたことはある。高良とか帆足という人はひょっとしたら出入りの多い私の事務所に、訪ねて来たことがあるかも知れないが記憶はない。いず

れにしても私の知ったことではない』と語った。

 最後に中国大使館の某高官は、『君たちのもっている情報が正確かどうか立場上言えないが、アルバート・リーが中共治下になってからの天津に往復していたことは確かな情報を持っている』と語った。この高官はつけたし『こういう話は本人に聞いたって、その通りだという人はあるまい』とも言った。

 全くその通りだが、われわれとしては聞いてみる以外に方法はなく、うわさのあることは事実で、うわさをあえて取りあげたのは東京の租界的性格を浮びあがらせるためであった。

 この記事を読んだリー氏は、『アメリカ人として共産党といわれることは、国家への反逆を意味する重大問題だ』と、日本人弁護士を通じて記事の全面的取消を要求してきた。

 そのため私はリー氏側の反証資料も参考として、事実に反するかどうか、再調査したのであった。しかしこの話は私自身で確証を得たものでないことをお断りしておこう。

 鮎川(名は分らない)という日本人実業家が、三人をつれてある米国籍人(この人も名前は分らないが、少くともリー氏の友人であろう)の許にやってきた。そして三人の旅費保証人になってくれという。鮎川氏の息子たちの渡米旅費の保証人になっていたその米人は、気軽く引受けてサインをしてやった。