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黒幕・政商たち p.022-023 怪しからんのですよ。文春は!

黒幕・政商たち p.022-023 松本清張氏の代作者、大竹宗美氏がフロシキ包み一杯の書類をかかえて、文春本社に馳けこんできた。「すぐ、ゼロックスでコピーを取ってくれ。数時間でこの書類を、もとの所に返さねばならないんだ!」
黒幕・政商たち p.022-023 松本清張氏の代作者、大竹宗美氏がフロシキ包み一杯の書類をかかえて、文春本社に馳けこんできた。「すぐ、ゼロックスでコピーを取ってくれ。数時間でこの書類を、もとの所に返さねばならないんだ!」

だが、公式的な当局の捜査は、そんな形でピリオドが打たれたのだが、私が調べた限りでは、興味深い事実の数々がある。

支払い伝票のメモをめぐって

「三矢事件」が問題となった時のことである。松本清張氏の代作者、大竹宗美氏がフロシキ包み一杯の書類をかかえて、文春本社に馳けこんできた。

「すぐ、ゼロックスでコピーを取ってくれ。数時間でこの書類を、もとの所に返さねばならないんだ!」

大竹氏は興奮して、そう叫んだという。

当局の調べによると、防衛庁関係はともかくとして、文春ならびに松本清張氏のもとに、この書類を運んだのは、前述の通り大竹氏だという。警視庁公安部では、この書類流出を、自衛隊法違反、公務員法違反の被疑事件として取りあげた。

読売新聞の軍事記者として著名な、堂場肇氏は、当時の事情をこう語る。

「怪しからんのですよ。文春は! これらの関係の、取材費や謝礼金伝票を、警視庁に〝任意提出〟で差しだしたのです!」

堂場記者といえば、時事新報の経済部記者がスタート。やがて、時事がサンケイに吸収合併されて、社会部にうつる。彼は、その時代に、続きもの「下山事件」で、その綿密な調査記録を発表し、「サンケイに堂場あり」と、筆名を高めた。この続きものは、朝日の矢田喜美雄記者が、「帝銀事件」「下山事件」とヒットしてきた、調査記録と並び称され、専門家筋に高く評価された労作であった。

その後、読売社会部に転じ、続きものなどの調査研究記事を得意とし、防衛庁詰めとなっては、例のグラマン・ロッキード事件などで筆名をあげた。どちらかといえばアカデミックなタイプの記者で、現在は、読売の「国際情勢調査会」の主任調査委員でもある。そしてまた文春誌のセミレギュラー執筆者であり、〝文春派〟記者と見られていただけに、彼の、このような〝怒り〟は、私にとっては、やや、意外な感じでもあった。

というのは、すでに情報として、防衛庁記者クラブに属する、日刊紙記者たち八名(含雑誌記者)の名前があがっていたからである。ここで問題となるのが、記者の取材伝票である。これは足代、電話代、飲食代にいたるまで、経路、相手方、店名など、取材雑費のすべてが、その記者の取材活動の〝こん跡〟を、雄弁に物語るよう記録されているのが、通例である。

だから、機密文書を入手するため、誰とどのように連絡し、行動したかは、当然、すべて記録されているハズである——これに着眼したのは、流石に警視庁であった。

いずれにせよ、株式会社「文芸春秋」は当局が捜査資料にする目的を持っていることを知りながら、「防衛官僚論」関係者の支払伝票を、任意に提出したことは、堂場氏の言葉からも、事実だと判断される。

最後の事件記者 p.094-095 七十八万円を貯金していた

最後の事件記者 p.094-095 私と朝日の矢田喜美雄記者とが、M紙の記者を怒った。そして、とうとう矢田記者が彼女を自宅に引取った。矢田夫人も新聞記者だったから、こんなことができるのだが…
最後の事件記者 p.094-095 私と朝日の矢田喜美雄記者とが、M紙の記者を怒った。そして、とうとう矢田記者が彼女を自宅に引取った。矢田夫人も新聞記者だったから、こんなことができるのだが…

Mという、決して美人でない変り者のパン助がいた。彼女は、客を引きながらも、決してムダ

に立っていない。仲間のパン助相手に、オムスビやオスシを売る行商をする。そして、七十八万円を貯金していた。

M紙の記者が、そのことをゴシップ欄で書いたものだから、サア大変。彼女はしばしば襲われるようになった。身体につけてもっていると思うのか、営業中にまでグレン隊が飛びかかるのだ。

私と朝日の矢田喜美雄記者とが、人権問題だといって、M紙の記者を怒った。そして、相談したあげく、更生できるのならば、一石二鳥というので、とうとう矢田記者が彼女を自宅に引取ったのである。

矢田夫人も新聞記者だったから、こんなことができるのだが、普通の家庭ならば大変である。彼女は神妙に国立の奥にある矢田家に暮していたが、やがて一月もたとうというころ、お礼の書置を残して失踪した。再び上野に現れた彼女は、それから間もなく、北海道の商人で、定期的に上京する男の、東京ワイフに納ってしまった。

どうして彼女は、矢田家をとび出したのだろうか。私たちは矢田記者に聞いてみた。

『つまり、麻薬の禁断状態と同じらしいね。はじめの間は、遠慮して我慢していたのだが、やは

りやり切れなくなったらしい』

オカマの和ちゃん。彼女などはオカマといいながら、大変な美人であった。ある日、読売の婦人記者がオカマをみたいというので、上野を案内したことがある。途中で、和ちゃんに出会ったので、一緒に連れて、明るいレストランで三人でお茶を飲んだ。外に出て別れてから、婦人記者に「あれが、女形あがり、女形くずれじゃないよ。和ちゃんて子だ」彼女はエッと叫んで、信じ切れなかったらしい。

上野駅で、後から「隊長ドノ!」と呼ぶものがある。振り返ってみると、シベリアで一緒に苦労した旧部下の一人だ。聞いてみると、女とバクチで身を持ちくずし、高橋ドヤに転がり込んで、上野駅でショバ屋をやっているという。これもヒロポンだ。

『カタギになりたい』という彼の希望に、私は家へ連れてきた。といっても六帖の下宿住い だ。一晩泊めてから、都の民生局へ交渉して、引揚者寮へ入れてやった。やはり、軍隊友逹の佃煮屋さんに頼んで、その魚市場の売店の売り子にしてもらったが、彼も一月ほどで失踪してしま った。

カキ屋という、上野ならではの商売。ジドク屋である。ノゾキをしている男の補助をしてやる

のだ。視神経と運動神経を同時に使うと熱中できないから、運動部門を担当する。