若輩の私が、ここで、その大きな問題について、明快な解答や結論を出そう、というのではない。これは、一人の事件記者の生活記録でしかない。
それも、事件と新聞という、大きな谷間におちこんでしまった、一人の男のそれである。彼を犠牲者と呼び、ピエロと名付けようとも、これが、事件記者の現実である。
芸術祭参加のテレビ・ドラマ「マンモス・タワー」は、映画とテレビの谷間におちこんだ生粋の映画人が、映画の世界を去らねばならなくなった記録であった。新聞もまた、マンモスである。
テレビの「事件記者」は、来年もまたロングランをつづけるという。しかし、現実の新聞の世界では、私が〝最後の事件記者〟であるに違いない。
昭和三十三年十二月
三 田 和 夫