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最後の事件記者 p.030-031 私を「グレン隊の一味」に仕立てた記事

最後の事件記者 p.030-031 私は新聞記者である。新聞というマンモスを良く知っているつもりである。私の記事が真実ではないなぞと、蟷螂の斧の愚はやめよう。
最後の事件記者 p.030-031 私は新聞記者である。新聞というマンモスを良く知っているつもりである。私の記事が真実ではないなぞと、蟷螂の斧の愚はやめよう。

新聞というマンモス

『この記事は違っている。訂正してもらいたい』

『何処が違っているのです』

『当局ではこうみている、という形で記者の主観が入っている。当局とは何か、誰か、それを明らかにしてもらいたい』

『貴君が何時、何処で、いかなる理由で逮捕された、という事実を否定するのですか』

何というおろかなことだろう。私を「グレン隊の一味」に仕立てたかの如き、新聞記事に、抗議をしに各社を訪れたところで、その問答の中味は、このように判りすぎるほど判っていたのである。

担当の取材記者は、その社の応接室で、かって私がしたように、私の抗議を突っぱねるに決っている。もちろん、決してウソは書いていないからである。

しかし、新聞記事というものは、好意をもって書くのと、ことさらに悪意をもたなくとも、好意を持たずに書くのとでは、読者へ与える印象には、全く雲泥の差がある。たった一行、たった

一つの単語で、ガラリと変ってしまうのである。ことに、限られたスペースの新聞記事では、微妙な事件のニュアンスなどは全く消えさり、事実というガイコツだけが不気味に現れるのだ。

私は新聞記者である。新聞というマンモスを良く知っているつもりである。私の記事が真実ではない、なぞと、蟷螂の斧の愚はやめよう。私は田川編集長の期待に応えて、面白い原稿を書こうと考えた。

文春の記事を読んだ、福岡県の田舎の方から手紙をもらった。『……かかる目に見えない暴力と斗って下さい。しかし、あなたには記事にして発表する場と力があります。まだまだ弱い立場の人が沢山いるのです……』