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正力松太郎の死の後にくるもの p.106-107 「契約金未払いに泣く巨人軍選手」

正力松太郎の死の後にくるもの p.106-107 務台辞任。この事件をキッカケに、次第に〝神秘のヴェール〟を剥がされた、大読売新聞の経営の実態は、到底、世間の人々には信じられないほどの、スサマジサであった。
正力松太郎の死の後にくるもの p.106-107 務台辞任。この事件をキッカケに、次第に〝神秘のヴェール〟を剥がされた、大読売新聞の経営の実態は、到底、世間の人々には信じられないほどの、スサマジサであった。

こうして、組合の闘争気運が次第に盛り上ってきた三月十七日、代表取締役専務務台光雄が、「所感」をもって、代表取締役副社長の高橋雄豺のもとに辞表を提出、慰留をさけるため、そのまま居所をくらましてしまうという、いわゆる「務台事件」が起ったのである。所感は、極めて含蓄の多い、次のようなものであった。

「今回行なわれた、読売労組のスト権確立の投票は、本社の経営に対する不信感の顕れであると思います。従って、その抜本的解決は、経営の責任者である私の辞任が、先決の条件と考えます。

私は、読売新聞が、社会の公器としての使命と責任を全うするために、永久に存続し発展することを希うものであります、(中略)この意味において、今回のことは 誠に遺憾でありますが、しかし、責任の大半は私にあると思います。

依って、本社百年の計を考え、その責任を明らかにするため、辞任する決意をした次第であります」

あけて翌十八日、務台辞任、居所不明のニュースは、読売全社を動揺させた。そして、この事件をキッカケに、次第に〝神秘のヴェール〟を剥がされた、大読売新聞の経営の実態は、到底、世間の人々には信じられないほどの、スサマジサであった。

読売の〝家庭の事情〟

これらの事情を伝えたものに、「契約金未払いに泣く巨人軍選手」(週刊現代 四月十五日号)という、五百崎三郎なる匿名の記事がある。

これによると、四百勝を飾って、巨人軍からプロ球界を引退した、金田をはじめとして、巨人選手たちの、契約金の未払額が約一億円ある。一方、メノコ算で計算して、入場料収入約二億五千万円。これにテレビその他を加えて三億の収入。支出は、最大の人件費一億二千万円、その他で約一億五千万円、差引一億五千万円の黒字だという。それなのに、一億も未払があるのは、読売がその金を流用しているというもので、契約金を分割にすれば浮く利子だけでも大変なものだという。

大体からして、新聞経営の基礎は、購読料収入四と、広告料収入六とに依っている。ところが、オリンピック以後の不況は、この四対六の比率を、五分五分、もしくは六対四にさえ逆転させようとしている。そのため、新聞社はどこでも苦しい。というのは、もはや新聞購読人口は頭打ちで、三社は、北海道の僅かな未開拓人口を求めて、競って進出したほどである。

その上、オリンピックの過当取材合戦で、各社とも数億にのぼる金を注ぎこんだが、広告が思ったほど集まらず、広告スペースの記事にあわてたほどであった。不況は、スポンサーの広告予算の削減を招き、少ない予算で沢山の効果となるので、自然、媒体である新聞社と紙面の撰択が厳しくならざるを得ない。

ということは、一例をあげれば、新聞社の週刊誌でいえば、朝日と毎日は、それぞれ実績と読者層を認められて、それほど広告原稿は減らないが、読売やサンケイは、出稿回数が減ったり、

全く停止されたりするということだ。

正力松太郎の死の後にくるもの p.108-109 苦境にプラスする〝家庭の事情〟

正力松太郎の死の後にくるもの p.108-109 川崎市外の「読売ランド」。読売新聞の金を、正力がみなランドに注ぎこんでしまうので、巨人軍の金も、粉飾決算の日本テレビの金もゴッチャになり、金繰りが苦しいというのである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.108-109 川崎市外の「読売ランド」。読売新聞の金を、正力がみなランドに注ぎこんでしまうので、巨人軍の金も、粉飾決算の日本テレビの金もゴッチャになり、金繰りが苦しいというのである。

ということは、一例をあげれば、新聞社の週刊誌でいえば、朝日と毎日は、それぞれ実績と読者層を認められて、それほど広告原稿は減らないが、読売やサンケイは、出稿回数が減ったり、

全く停止されたりするということだ。

ところが雑誌社の週刊誌では、新潮などは、「週刊新潮」だけの入り広告料(同誌に掲載される他社の広告)だけで、全新潮社の出し広告料(他紙誌への出稿広告)を上廻るという、掲載申込を捌き切れないほどの、跛行現象が起きてくる。つまり一流だけは影響がなく、二、三流が苦しいということだ。

広告頁がすいていれば、ついにはダンピングにまでなる。これは、新聞とて同じで、各社の経営は、広告料の減収、購読料の頭打ち、オリンピック投資の負担と、大変な苦境に追いこまれている。

東京新聞が事実上倒産し、中日新聞に買収され、記者たちは、東京新聞社員と中日東京支社員の二枚看板となった。内幸町の土地社屋が二十一億円で売り払われ、田町駅の裏側(畜殺場側)に新社屋を建てて引越したが、それでオツリがきて、そのオツリを資金にせざるを得ないほどである。一時、都内有代部数二十万とまで噂され、メイン・バンクの三和銀行への利子さえ払えないといわれた毎日も、有楽町を売り渡して九段へ引越すという実情である。

ところが、読売には、そのような新聞全般の苦境にプラスする、〝家庭の事情〟があったのである。それが、先程の〝ランド〟という、つまり、川崎市外の「読売ランド」のことである。読売新聞の金を、正力がみなランドに注ぎこんでしまうので、巨人軍の金も、粉飾決算の日本テレ

ビの金も、なにもかも、ゴッチャになり、余計、金繰りが苦しいというのである。

当時の読売新聞の一部当りコストは、朝夕刊セットで、約七百円とされている。ところが、購読料金は四百五十円であるから、月間、一部当り二百五十円の赤字となる。東京本社三百二十万余の発行部数の中、朝夕刊セットを二百四十万部と概算すると、この赤字は六億になるが、広告料収入を七、八億とみて、差引すると、東京本社における限りでは、月間ほぼ二億近い黒字となっている、というのがメノコ算ながらも、ほぼ実情に近い数字であろう。

ところが、大阪はまず独立出来たとしても、東京が背負わねばならない赤字は、西部本社の七千万円、北海道、北陸支社の各二、三千万円、合計一億二千万円ほどのものがある。さらに、金利七千万円、ボーナス借入金月賦返済分(ボーナスは毎期約六、七億円)約一億円がある。これらを総計すると、月間三億円の支出があるので、二億円の黒字は吹っ飛んで、毎月一億円宛、赤字が累積されてゆく計算である。

これらの赤字も、金繰りがつく限りでは、それほど大したものではあるまい。しかし、一方では、東京の本館増築、別館新築をはじめとして、各地の読売会館の建設が、ここ数年の間に急激に行なわれた上、百二十億の金を注ぎこんだ(週刊文春四月十九日号、正力・大宅対談)といわれる、「読売ランド」の大建設が進められているのである。

ランドは株式会社関東レース俱楽部(注。現在は株式会社よみうりランドに合併)の所有である。

正力松太郎の死の後にくるもの p.110-111 読売新聞の〝信用〟にかかっている

正力松太郎の死の後にくるもの p.110-111 新聞が毎月二億の黒字に、ノウノウとしている時ならまだしも、赤字にアエいでいるところなのだから、新聞の〝信用の枠〟を、ランドに使われてしまったあとでは、今度は新聞自体が危うくなってくる。
正力松太郎の死の後にくるもの p.110-111 新聞が毎月二億の黒字に、ノウノウとしている時ならまだしも、赤字にアエいでいるところなのだから、新聞の〝信用の枠〟を、ランドに使われてしまったあとでは、今度は新聞自体が危うくなってくる。

ランドは株式会社関東レース俱楽部(注。現在は株式会社よみうりランドに合併)の所有である。

しかも、例の吹原産業の五反田ボーリング場と同様に、レジャー産業であるから、銀行の融資対象にはならないので、この百二十億の金の金繰りは、あげて読売新聞の〝信用〟にかかってきているのである。新聞ならば金を借りられるが、ランドでは金を借りられないのである。

ところが、新聞が毎月二億の黒字に、ノウノウとしている時ならまだしも、赤字にアエいでいるところなのだから、新聞の〝信用の枠〟を、ランドに使われてしまったあとでは、今度は新聞自体が危うくなってくる。角をためて牛を殺そうというところだ。

春闘のさい、七千五百円アップの要求を出した組合は、会社側の〝赤字〟〝財源がない〟という拒否に対して、ランドへの融資問題を取上げて攻撃してきた。三月二十六日付「闘争情報」によると、

会社は未払い金の方ばかりいっているが、未収益金や、よそに貸している分はいくらあるか。会社はよそに金は貸していないというが、大蔵省の監修で出している、政府刊行物の有価証券報告書によると、関東レース倶楽部の決算報告には、読売からの短期借入金が毎期とも計上されている。これはいずれも当期末残高という形で出されているので、その途中ではいくらになっているかわからない。三十七年九月期・十一億五千万円。三十八年三月期・十一億七千万円。三十八年九月期・五億円。三十九年三月期・六億円。

組合がいままでにも、「金繰りが苦しいのは、ランドに銀行から金を借りてやっているからで

はないか」と質問しても、「そんなことは絶対にない」と答えていた。

この、証拠をつきつけての、組合の攻撃には、会社も参ったらしい。「同情報」によると、会社側の返事は、「決算の仕方でこういう表現になったのだろう。読売の名を使えば信用もつくので、絶対に読売は出していないが、関東レースがどうしているのか調べる」という、白を黒という答え方で、良くもまあヌケヌケとの、感がしよう。

この時の会社側に、務台が加わっていたことはいうまでもない。だが、この日に、組合は、「スト権確立のための全員投票、開票日は二十五日」を決定している。証拠物件を出されての追及も、苦しい否定でしか答えられない、読売の〝家庭の事情〟に加えて、もう一つ、務台専務に辞任の決意をもたらさしめた事件があったという。

務台あっての〝正力の読売〟

「正力の読売」として、零細企業から中小企業へ、そして、今日の大企業へと育ってきた読売には、いわゆるメイン・バンクがない。前年の暮、正力から三十億の金作りを頼まれた務台は、腹

案として三井、住友、勧銀などの主取引銀行で半分の十五億、これに成功すれば、残り十五億は、群小銀行の協調融資団的なものをつくって……と、考えていたらしい。