私は立ちすくんだまま、彼女の差出した別れの握手に応えていた。
『それから、Q氏のことはもう不用です。御手数をかけました。……では、サヨウナラ』
こうして、彼女は去っていった。妖しいナゾに包まれた出現であり、凍るような威圧を示した別離であった。僅か二、三週間、私はそれ以後、彼女に逢っていない。
このフリー・メーソンの物語は、当時はそれほど重要なこととも思えなかったが、日ソ交渉が始まってみて、ハタと思い当らせられることとなって、私の前に現れてきたのであった。
三十年三月二十六日の各紙夕刊は、鳩山首相がフリー・メーソンで二階級特進したことを、写真入りで報じている。一番詳しい産経の記事を引用しよう。
二十六日あさ東京音羽の鳩山首相邸に、ハル国連軍司令官、オシアス元比国上院議長、小松隆日米協会長、ヒメネズ、ヴェネズエラ公使など、内外の知名人が紫、緑など色とりどりの肩掛けや、前掛けをつけて風変りな儀式が行われた。
これは世界に六百万人の会員をようする友愛団体フリー・メーソンから、クリスチャンであり、同会の日本支部会員である鳩山さんに、二階級特進のマスター・メーソンの称号を贈ったもの。
この日のため、わざわざオシアス元上院議長ら、五人の比国支部役員が来日、白い羊皮の前掛けをしめて、鳩山さんもいささか照れくさそうだったが、早くも同邸にはトルーマン前大統領ら、世界の有名人からひっきりなしに祝電が舞いこんでいた。
そして、またもう一つは、フィリピン付近に現れた「博愛王国」のニュースである。これについては、週刊朝日七月三日号が詳しく伝えているので、それを引用する。
「ヒューマニティ王国」というのが、フィリッピンのパラワン島沖に出現して、夏の話題をにぎわしている。ほんとにあるのだろうか、それともウソなのだろうか。
一通の奇妙な手紙が、とびこんだところから、この話は始まる。「日本帝国市民ジョージ・笠井重治氏を、ヒューマニティ王国連邦の、日本駐在総領事に任命する。この地位は、国際的に領事が持つと同様の特権を、日本に対して持つものである。
一九五五年五月二十七日
ヒューマニティ王国連邦国王 ウィリス・アルヴァ・ライアント
同国外務長官 ヴィクター・L・アンダーソン
発信地はフィリピンの首府マニラ郵便局の私書函、この手紙に丸い金色のシールがはりつけられている。シールのふちにはグルリと、こんな文章を刻んであるのが読みとれる。
East is west and west is east and I am the twain that will make it so.
(東は西、西は東、われこそはそれを結ばんとする二なるもの)
文学にくわしい人なら、この文章が、英国の詩人キップリングの有名なことばを、うらがえしたものだと気付くだろう。
East is east, and west is west, and never the twain shall meet.
(東は東、西は西、二つはついに相見ゆることあらじ)