「新宿慕情」タグアーカイブ
新宿慕情120-121 オカマを見せてよ
新宿慕情122-123 エッ、あの女の人が、オ、カ、マ?
新宿慕情124-125 オカマには、形態学的に三種類
新宿慕情126-127 客を取るオカマは和服姿
新宿慕情128-129 ソ連国籍の強制労働者が同じ炭鉱にいた。
新宿慕情130-131 分娩の苦痛も男女同権に
新宿慕情132-133 現在は、男性でも女性でもない…
新宿慕情134-135 半陰陽についてのウンチク
新宿慕情136-137 某月某夜。ふたりはラブ・ホテルの
新宿慕情138-139 性転換手術の途上にあった
新宿慕情140-141 渋谷の百軒店のカフェーのこと
新宿慕情142-143 渋谷・丸山町の「粋園」という待合
新宿慕情144-145 三善英史の唄『丸山花街』が好き
新宿慕情146-147 ダリヤ姐さんの消息は…
19891108 務台光雄読売名誉会長とともに
平成元年(1989)11月8日 読売ジャイアンツ日本一祝勝会にて
三田和夫著『新宿慕情』あとがきには、
……務台総務局長のところに伺った。開口一番「ウン、事件のことは聞いたよ。ナニ、新聞記者としての向こう疵だよ。早く全部済ませて、また、社に戻ってこいよ」——温情があふれていた。私の〝常識〟でも、復社できるとは思えないのだが、(中略)爾来、私は〝務台教の信者〟社外第一号を自任している。
とある。
読売退社後、曲折を経て約10年後、池袋の小さな木造アパートの一室で『正論新聞』を創刊する。務台さんのひと言が三田和夫のその後の人生を支えたのだろう。