驚きの連続だった。停車ごとに何かを手に入れようとする人達が、男も女も年寄りも子供も押しひしめいた。こうして軍の被服は街にはんらんした。どんな布でも、署名に汚れた日の丸の旗さえ夢中になって求めた。一体今まで何を着ていたのだろうと考えるほど、被服類は払底していた。
「働かざるものは食うべからず」は「食うためには働かざるべからず」であった。労働の種類に応じ配給されるパンは、学童妊婦などの特殊なものを除いて、働かないものには全くなかったから、女も子供も働きに出てパンを稼ぐ。一家中で獲得したパンを浮かしてバザールで売り、生活を立ててゆくのだ。食うためには働きに出なければならない。ここから彼等の勤労観は出発する。働く歓びはおろか、ただ食うために働くのだから、固定作業のものは八時間の経過を待ちこがれ、歩合作業のものは労力を最少限に惜しむ。憲法によって享有されている「労働の権利」は「労働の義務」となって重たくのしかかっていた。
富める者は、妻は家庭に、子供は学校へやり、必要量のパンをバザールで買う。そのパンこそ貧しいものが一家総出で得たパンを割愛して売るパンである。「人間による人間の搾取のない国」で、一方は肥え太って美服をまとい、ラジオを備