読売梁山泊の記者たち p.252-253 検察権の行使が政党内閣の恣意(しい)によって左右

読売梁山泊の記者たち p.252-253 《検察権は行政権に属する。指揮権が発動された、唯一の例が、造船疑獄事件。今度の指揮権発動は、逮捕事実の選び方を間違えた》「河井の強引捜査→総長の優柔不断→逮捕事実の間違い」という、伊藤の痛烈な批判がうかがえる。
読売梁山泊の記者たち p.252-253 《検察権は行政権に属する。指揮権が発動された、唯一の例が、造船疑獄事件。今度の指揮権発動は、逮捕事実の選び方を間違えた》「河井の強引捜査→総長の優柔不断→逮捕事実の間違い」という、伊藤の痛烈な批判がうかがえる。

これを読み通してみると、伊藤は、「捜査観の相違」として、八年先輩の河井批判をしている。Y検

事の涙も、〝強気の意見イコオル河井の意見〟の然らしむるところだ、と怒っている。

その造船疑獄の発端について、伊藤は、こう述べている。(5・9付第四回)

《検察権は、三権のうちの行政権に属する。だから、内閣がその行使について、国会に対して責任を負う。一方、検察権は、司法権と密接な関係にある。検察権の行使が、政党内閣の恣意(しい)によって、左右されることになれば、ひいては、司法権の作用が、ゆがめられることになる。

そこで、検察庁法は、具体的事件の処分に関する、法務大臣の指揮が実現されるか、どうかを、検事総長の判断にかからせたのである。多くの場合は、〝大物〟である検事総長と法務大臣との、話し合いによって解決するのだろうが、極端な場合、検事総長が職を賭して、大臣の指揮に反対する命令を、主任検事に下せば、大臣の意志は、無視されることになる。

法務大臣の検事総長に対する、具体的事件に関する指揮は、「指揮権発動」と、呼ばれる。歴代法務事務次官や、刑事局長の重要な使命の一つは、およそ、指揮権発動というような、事態が起きないように、事前に、十分の調整を行うこと、であるとされている。それにもかかわらず、指揮権が発動された、唯一の例が、造船疑獄事件である。

この指揮権発動は、捜査が次第に核心に迫り、昭和二十九年四月二十一日、検事総長が時の与党自由党の幹事長・衆議院議員佐藤栄作氏を、収賄容疑で逮捕したいと、大臣に請訓したときに、犬養法務大臣によってなされた》

伊藤は、この続きの部分で、ふたたび、河井の〝強気捜査〟を批判する。

《佐藤氏についての逮捕理由は、公表されていないが、日本造船工業会の幹部から、造船助成法案の有利な修正などの請託を受け、その謝礼として、一千百万円を自由党に供与させたという、『第三者収賄』の事実であったと思う。

指揮権発動の後、この事実では、党に対する政治献金みたいなもので、佐藤氏が私腹をこやしたわけでもなく、迫力がない。

他に佐藤氏が、故人の預金口座に入れた口が、いくつかわかっており、中には、これまで名前のあがってこない、海運会社からの分もあったのだから、どうして、そっちで逮捕しようと、しなかったのだろう。

今度の指揮権発動は、逮捕事実の選び方を間違えたことにも、よるものではあるまいかなどと思ったものであった》

この第四回、第五回を読めば、順不同ながらも「河井の強引捜査→総長の優柔不断→逮捕事実の間違い」という、伊藤の、遺書らしい痛烈な批判が、うかがえる。

佐藤総長には、さらにもう一項がある。

《…佐藤総長は、当面、必要最小限の指図をしたら、パッとお辞めになるべきだった、と思っている。

当時の新聞が、最高検検事全員が、総長に「われわれは総長と進退をともにする。どうか、検察全体のことを考えて、隠忍自重していただきたい」と、申し入れたと報じたが、最高検検事ともあろうものが、筋の違ったことをするものだと、苦々しく思ったことであった。…》