いまは、東京第一弁護士会所属弁護士だが、検事総長秘書官だったS検事が、私の手を固く握って、熱っぽく訴えたのである。
「お願いです。検察がダメになってしまうのです。これだけは、どうしても阻止しなければなりませ
ん。それには、記者のみなさんのご協力が必要なのです。ゼヒ、ゼヒとも、お願いいたします」
長身で美男のせいか、若く見えるその検事は、新任の読売キャップの手を握って、しばらくは離そうともしなかった。
私には、彼のアピールの趣旨が、よくのみこめず、困惑していた。廊下に出ると、萩原は、ニヤニヤしながらいった。
「オレにもそういってたから、お前にも、伝わっていると思ったんだろ。岸本サ…」
岸本検事長が、検事総長たらんとしていることを、〝阻止に協力〟せよ、ということであった——この一事をもってしても、当時の「検察の派閥対立」の、感情的な一面を、垣間見ることができよう。
「あれは立松君だろう」と、滝沢の顔を見るなり、こうぶっつけてきた天野特捜部長。そして、川口主任検事、軽部、野中、岡原と、当時の東京高検の主な検事たちは、ほとんどが岸本検事長の〝親分肌〟の人柄に魅せられて、いうなれば岸本派と呼ばれる人たちであった。そして、昭電事件以来、読売の立松のネタモトは河井検事だということは、もはや公知の事実だったのである。
そして、河井は、馬場派のコロシ屋、いまようにいえば、〝ヒットマン〟であった。
井本台吉総長、福田赳夫幹事長、池田正之輔代議士の三者が、新橋の「花蝶」で会談した、いわゆる「総長会食事件」(昭和四十三年)で、私が、「東京地検、検事某」を、国家公務員法百条違反で告発した時も、東京高検に告発状を出したのである。
この時のネタモトは、井本総長の失脚を狙った、河井検事であったと、判断されたが、告発状では、「検事某」とした。だから、宇都宮、福田両代議士の「検事某」も、東京高検が捜査を担当するのは、当然である。
天野特捜部長が、滝沢に一パツかませて、立松—河井ラインは、すでに明らかであったから、岸本派の天野が、のちに、二人揃って最高裁入りをした、岡原次席に連絡したぐらいは、容易に考えられよう。
川口は出張先から呼び戻されて、主任検事になる。まずは、キャップである私が、川口に被疑者調書を取られた。
「川口さん。この告訴されている『検事某』ですがね。この検事、ニュースソースとして実在し、立松に情報を出した、と仮定しますよネ。もし、私が、その検事の名前を知っていて、私の調書に、その名前が記載されたとしますと、高検は、どうするんですか?」
「もちろん、その検事を取り調べます」
「パクるんですか」
「供述如何で、任意でやるか、パクるかは、状況次第、ですよ」
「その検事が、相当な地位にあるとしたら」
「犯罪の容疑の有無であって、地位や身分は関係ないですよ」
「フーン…」