日別アーカイブ: 2019年10月9日

赤い広場ー霞ヶ関 p.150-151 「彼と私は全く相容れない立場」

赤い広場ー霞ヶ関 p.150-151 In Siberia, Activist Michitaro Murakami ruled the Raichikhinsk camp after the exile of "the Emperor Raichikhinsk" Shizuo Nakanishi, and was called "the Emperor Murakami".
赤い広場ー霞ヶ関 p.150-151 In Siberia, Activist Michitaro Murakami ruled the Raichikhinsk camp after the exile of “the Emperor Raichikhinsk” Shizuo Nakanishi, and was called “the Emperor Murakami”.

問——ソ連の一少将が戦犯への文通、送金自由といったからとて、具体化の見通しもなく

発表したのは?

答——研究中だということだ。私なら発表はしない。高良氏のことにはもう答えない。

問——あなたは共産党員もしくは共産主義者か。

答——党籍は持っていない。(冷笑して)党員に向って党員かときいた時、党員ですと答えるバカはいない。

問——ロシヤ語を話し、アクチヴだったあなたが計画的に女史を入ソさせ、いいように女史を操っていたのではないか。

答——高良氏のことにはもう答えない。

問——抑留地イルクーツクでだれかに会ったか。シベリヤで日本人に会ったか。

答——(沈黙)

問——さっきその他いろいろな影響があるといった、いろいろな影響とは?

答——第一に学徒援護会に迷惑がかかる、私だって生活して行かなきゃならない……(再び声を荒らげて)記事にする気なのか。私はオフレコのつもりで話したのだ。もう話したくない。

約四十分、村上氏は外出の時間があると打切った。最後に声をひそめて、『今さらなにを調

べるんです。もしもこんなことをスッパ抜くと、貴方は、大衆の怒りを買いますよ、国際的にも……』と真剣な表情で、明らかに脅迫の言葉を記者に投げつけた。

高良とみ女史談『村上氏のことは学徒援護会で聞いて下さい。あの人は私の秘書ではありません。前身やらいろいろ隠していたことがあったので、グリーン・クロスの書記長はパリの会議が終るとすぐやめてもらいました。もう何の関係もない人です。入ソおよび在ソ間の私は私自身の意思で行動しました。村上氏に引回されたということはありません。ともかく彼と私は全く相容れない立場にあるのです』

私はここで非常に数多くの疑問を感じたのである。この疑問を当局のアナリストにただしてみた結果、当局でもまた、私と同じような判断を下しているのだった。

疑問の第一は、高良、村上両氏の結びつきである。シベリヤ、ライチハ収容所における村上氏は、〝ライチハ天皇〟こと中西静雄氏がボスとして追放されたのち、その実権を握り地区講師兼文化部長で〝村上天皇〟(シベリヤには何と〝天皇〟の多かったことか)と称されるにいたった。これは政治学校で教育され「人間変革」を完成したアクチィヴィストである。

その彼が復員後SCIの縁十字運動書記長として会長の高良女史と結んだのは、果して故意か偶然かということだ。ここに同氏の父君がやはり緑化運動関係者である、という条件を考えると偶然であるともいえるが、出てきた結果からみると、シベリヤ・オルグの予定されたコー

スでもあるようである。