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赤い広場ー霞ヶ関 p.124-125 刑事の予言は適中した。

赤い広場ー霞ヶ関 p.124-125 In the background of the disappearance of Rastvorov, there was a camouflaged entry of Anatoly Lozanov senior lieutenant.
赤い広場ー霞ヶ関 p.124-125 In the background of the disappearance of Rastvorov, there was a camouflaged entry of Anatoly Lozanov senior lieutenant.

〝ナホトカ天皇〟はアクチヴィストとしての、理論と実行力と指導力と、さらに品位をも兼ね備えた人物であった。そして、「物質的、精神的富の創造者、全世界平和の戦士たる新しい人間――ソヴェート的人間」(一九四九年五月二十一日付、日本新聞)として、「人間変革」をなしとげた人物であった、はずだ。少くとも、シベリヤのナホトカに於ては……。

二 オイストラッフの暗いかげ 

二十九年一月十二日の夜、羽田空港は世界スケート選手権大会に出場するソ連選手団を迎えて、歓迎陣が湧き立っていた。

そのどよめきの中で一人の若い男が思わず『オヤ?』とつぶやいていた。彼は刑事である。

――確かに見たことのある男だ!

彼はそう思って、大急ぎで本庁に帰って調べてみると、分厚い名簿の中から一枚の写真が出てくる。間違いなくあの男だ。

アナトリ・ロザノフ、三十二才。元代表部政治部顧問という表向きの肩書のほかに、内務省政治部上級中尉という本当の官名。昭和二十六年十二月帰国と記されている。

彼は直ちに上司の主任警部に報告した。警部は驚くと同時に腹を立てた。元代表部員ロザノフが在日間にいかなる行動をとり、いかなる人物であったかは、外務省も法務省入管局も百も承知のはずである。

例の〝ナホトカ天皇〟津村氏のケースでも分る通り、彼は日共を通ずるスパイ線の担当者であったではないか。選手団に入国査証を与えた香港総領事は、ロザノフ氏が役員として入国する旨を当然通報すべきだというのである。

『何かが始まるに違いない!』

報告を終えて出てきた若い刑事は、自信に満ちた予言を、廊下で出会った私に打明けてくれた。そして、その予言は適中した。

それから二週間後、二十八日付の各紙は元ソ連代表部員ラストヴォロフ氏の失踪を報じたのであった。

若い刑事の予言から約一年を経た三十年二月十九日、日ソ貿易商社進展実業がスポンサーとなって、〝奇跡の演奏家〟オイストラッフ氏が招かれて羽田に到着した。

私は例の若い刑事を呼びとめて、笑いながらいってやった。

『どうだい? 今度もまたピンと第六感にくる人物がいたかい?』

『ウム、いたとも! マネージャーと称するカサドキンだよ。彼は収容所付の政治部将校に違いない! そして、また、何かが始まるに違いない!』

彼は再び自信にみちた予言を行った。そしてまた、その予言は適中した。

日ソ国交調整問題である。日本政府がニューヨークを認めたと思いこんでいたところへ、ソ 連側は東京を持出してきた。

赤い広場ー霞ヶ関 p.150-151 「彼と私は全く相容れない立場」

赤い広場ー霞ヶ関 p.150-151 In Siberia, Activist Michitaro Murakami ruled the Raichikhinsk camp after the exile of "the Emperor Raichikhinsk" Shizuo Nakanishi, and was called "the Emperor Murakami".
赤い広場ー霞ヶ関 p.150-151 In Siberia, Activist Michitaro Murakami ruled the Raichikhinsk camp after the exile of “the Emperor Raichikhinsk” Shizuo Nakanishi, and was called “the Emperor Murakami”.

問——ソ連の一少将が戦犯への文通、送金自由といったからとて、具体化の見通しもなく

発表したのは?

答——研究中だということだ。私なら発表はしない。高良氏のことにはもう答えない。

問——あなたは共産党員もしくは共産主義者か。

答——党籍は持っていない。(冷笑して)党員に向って党員かときいた時、党員ですと答えるバカはいない。

問——ロシヤ語を話し、アクチヴだったあなたが計画的に女史を入ソさせ、いいように女史を操っていたのではないか。

答——高良氏のことにはもう答えない。

問——抑留地イルクーツクでだれかに会ったか。シベリヤで日本人に会ったか。

答——(沈黙)

問——さっきその他いろいろな影響があるといった、いろいろな影響とは?

答——第一に学徒援護会に迷惑がかかる、私だって生活して行かなきゃならない……(再び声を荒らげて)記事にする気なのか。私はオフレコのつもりで話したのだ。もう話したくない。

約四十分、村上氏は外出の時間があると打切った。最後に声をひそめて、『今さらなにを調

べるんです。もしもこんなことをスッパ抜くと、貴方は、大衆の怒りを買いますよ、国際的にも……』と真剣な表情で、明らかに脅迫の言葉を記者に投げつけた。

高良とみ女史談『村上氏のことは学徒援護会で聞いて下さい。あの人は私の秘書ではありません。前身やらいろいろ隠していたことがあったので、グリーン・クロスの書記長はパリの会議が終るとすぐやめてもらいました。もう何の関係もない人です。入ソおよび在ソ間の私は私自身の意思で行動しました。村上氏に引回されたということはありません。ともかく彼と私は全く相容れない立場にあるのです』

私はここで非常に数多くの疑問を感じたのである。この疑問を当局のアナリストにただしてみた結果、当局でもまた、私と同じような判断を下しているのだった。

疑問の第一は、高良、村上両氏の結びつきである。シベリヤ、ライチハ収容所における村上氏は、〝ライチハ天皇〟こと中西静雄氏がボスとして追放されたのち、その実権を握り地区講師兼文化部長で〝村上天皇〟(シベリヤには何と〝天皇〟の多かったことか)と称されるにいたった。これは政治学校で教育され「人間変革」を完成したアクチィヴィストである。

その彼が復員後SCIの縁十字運動書記長として会長の高良女史と結んだのは、果して故意か偶然かということだ。ここに同氏の父君がやはり緑化運動関係者である、という条件を考えると偶然であるともいえるが、出てきた結果からみると、シベリヤ・オルグの予定されたコー

スでもあるようである。