日別アーカイブ: 2020年4月19日

黒幕・政商たち p.076-077 広布産業事件のカラクリ

黒幕・政商たち p.076-077 志賀義雄が質問。「佐々木環(広布産業社長)が、大阪の東洋殖産岡林社長と、パーチャス社今西啓師社長、東棉豊田不動産部長、同青木課長の四人を告訴した事件。ある官庁、某高官が関係している」
黒幕・政商たち p.076-077 志賀義雄が質問。「佐々木環(広布産業社長)が、大阪の東洋殖産岡林社長と、パーチャス社今西啓師社長、東棉豊田不動産部長、同青木課長の四人を告訴した事件。ある官庁、某高官が関係している」

まず、大阪篇から述べよう。

大阪府警捜査四課に、四十年八月十三日、大阪で二人の雑誌発行人が捕まったのである。「パーチャス・ガイド・オブジャパン」という、英文の貿易案内誌といっても、ベヤリングを

主とした機械の業界誌であるが、この二人の同社重役は、光明池地区の宅地買収にからんで、東洋殖産岡林社長から一千万円、東棉不動産部豊田保部長から二千七百万円、合計三千七百万円をおどし取った、という容疑であった。

ところが、この恐かつ事件から、英文誌の重役の一人、柴山英二(四三)が、公団大阪支所用地課長勝又国善(四〇)に、贈賄した旨を自供したため、同十月二十七日、公団東京本所労務課長に転勤していた勝又が府警捜査二課に逮捕されるにいたった。

さらに府警二課は、翌十一月二十二日、勝又の自供から、当時の東棉不動産部長で、事件の責任から東京支社化学品石油本部長に転じていた豊田保取締役(五一)を任意で調べ、岡林は胃の手術のため入院してしまうという進展を見せた。

一方、東京では、別の角度から、事件になっていたのである。

吹原事件が森脇将光逮捕という、ドンデン返しを見せていた最中の、五月十一日、衆院法務委で志賀義雄氏が、「四十年一月十五日付で、佐々木護氏から東京地検あてに上申書が出ている。それによると、護氏の兄の環氏(広布産業社長)が、大阪の東洋殖産岡林社長と、パ社(前出英文誌)今西啓師社長、それに東棉豊田不動産部長、同青木課長の四人を告訴した事件を、早く調べてくれといっている。土地代金の手付金五千万円と、現金四千五百万円を詐取されたそうだが、ある官庁が舞台になり、某高官が関係しているというので、調べてもらいた

い」と、法務当局に質問したのである。

パクリ屋、国会で活躍

広布産業事件のカラクリ

佐々木環なる人物は、大映の手形を外国銀行で割引いてやるといって、大映経理部長からパクった、その筋では有名なパクリ屋で、このような人物の話を、志賀氏が国会に持出すのは、不思議なことなのであるが、こうしてハッパをかけられた法務省は、「上申書や告訴状が出ている事実はあるが、内容は控えたい」と答弁した。

これが、いわゆる「広布産業事件」なのであるが、佐々木告訴状によると、「茨城県東海村付近の土地約三十四万坪を、近い将来に防衛庁が、演習場として十三、四億円で買い上げるから、その前に七億五千万円で買い取らないか、と持ちかけられ、その手付金五千万円と、防衛庁井原岸高政務次官らへの、政治献金四千五百万円とを、岡林らに詐取された」というものである。この東西で起きた二つの事件は、いずれも東棉不動産部にからむ、広大な土地の問題で、両方共に岡林が登場しているので、同一事件である。

黒幕・政商たち p.078-079 全部日本電建の名儀となった

黒幕・政商たち p.078-079 「井原政務次官は、私の前で、田中角栄前蔵相(注。日本電建の前社長である)に電話をかけ土地買上げの予算措置まで頼んでくれたほどで、井原、田中議員らへの、政治献金も信じられた」
黒幕・政商たち p.078-079 「井原政務次官は、私の前で、田中角栄前蔵相(注。日本電建の前社長である)に電話をかけ土地買上げの予算措置まで頼んでくれたほどで、井原、田中議員らへの、政治献金も信じられた」

そしてまた、この佐々木環は、四十二年夏の、東京相互銀行からの、一億円詐取事件をおこし、さらに、朝日新聞の「板橋署六人の刑事」問題のタネとなった人物であることは、いうまでもないことであろう。一億円詐取は大映手形パクリ事件の、保釈金返済のため、迫られて起した事件であり、こうして常習犯罪者の犯罪は、金額の面からも次第にエスカレートしてゆくものなのである。

岡林の犯罪歴は、二十七年一月に商品詐欺で西宮署(起訴猶予)、二十九年一月に業務上横領で生田署(不起訴)、三十六年十一月に土地詐欺で兵庫署(起訴猶予)の三回。いずれも、法のスレスレを歩いているとみえて、起訴をまぬかれている。

この岡林が、二十六年九月に、神戸市兵庫区湊町の自宅に、自分の片腕としていたグレン隊大江某を社長に、自分は監査役となって設立したのが、神港建設である。これを三十八年三月に解散し(光明池の売買の税金を背負わせたためか=冒頭の話の実例)、同年八月、大阪市西区江戸堀北通に、東洋殖産を設立した。茨城県のケースは、この東洋殖産でやるつもりであったらしい。今度は、自分の銀行取引停止期間が満了していたためだろうか、自ら社長となり、専務には日本電建大阪支店用地係長だった村木典男を据え、監査役には内妻中村君子を配した。

愛媛出身の自民党井原岸高代議士と同郷で、秘書と称するほど同氏に可愛がられていたが、

これが、茨城県の土地の防衛庁買上げやら、政治献金やらに利用されるキッカケとなった。告訴人の佐々木にいわせると、「井原政務次官は、私の前で、田中角栄前蔵相(注。光明池地区転売と、東洋殖産村木専務に関係のある日本電建の前社長である)に電話をかけ土地買上げの予算措置まで頼んでくれたほどで、井原、田中議員らへの、政治献金も信じられた」というのに対し、井原代議士は、「トンでもない。三十八年十月ごろ、岡林に連れられて次官室へきたので、一分足らず会っただけ」と、全くアベコベで、真相はさだかではない。

だが、この岡林の逮捕歴と、光明池団地の宅地の所有権移転、茨城県の広布産業事件と、時間的に彼の行動を追ってみると、内容が明らかになってくる。二十六年神港建設創立、二十七年商品詐欺、二十九年業務上横領、三十六年一月光明池A地区買収(坪二百二十円程度)、同年二月東棉へ売却、同年三月同F地区買収、同年四月東棉へ売却、同年八月、A、E地区を日本電建へ売却(東棉嘱託)、同年十一月土地詐欺、同十二月B地区買収、三十七年一月B地区を日本電建へ売却、同年七月、B、C地区買収、いずれも直後に日本電建へ売却、同年八月F地区買収、同年九月日本電建へ売却。こうして、光明池地区三十八万坪は、三十七年九月八日現在で、全部日本電建の名儀となった。そして、その時期に公団本所から、大阪支所へ光明池団地の調査命令が出たのだから、田中角栄代議士と日本電建、公団という、三者の関係を想起させるに十分であろう。その間、東棉不動産部は、わずかに、A、E地区に介在したにすぎない。ま た、勝又用地課長の収賄は、この時期から三十八年春にかけてのことである。

黒幕・政商たち p.080-081 児玉誉士夫一派の幹部吉田の子分

黒幕・政商たち p.080-081 日本電建から東棉へ、すべてが売られた時期、岡林は神港建設を解散させた。〝蒸発〟させたのである。税法上の問題は、すべて「神港建設」にかぶせた。そして、「東洋殖産」を設立して、茨城県に取りかかった
黒幕・政商たち p.080-081 日本電建から東棉へ、すべてが売られた時期、岡林は神港建設を解散させた。〝蒸発〟させたのである。税法上の問題は、すべて「神港建設」にかぶせた。そして、「東洋殖産」を設立して、茨城県に取りかかった

田中角栄代議士と日本電建、公団という、三者の関係を想起させるに十分であろう。その間、東棉不動産部は、わずかに、A、E地区に介在したにすぎない。ま

た、勝又用地課長の収賄は、この時期から三十八年春にかけてのことである。

大映手形パクリ事件の主役は?

三十八年四月一日、この三十八万坪は日本電建から東棉へと、すべて売却された。その登記が同月二十六日、週日後の五月一日には、東棉から大橋富重の興亜建設へ売却されて、六日に登記された。眼を公団側の動きに転ずると、同八日に大阪支所支部長会議で、光明池開発を決め、買収価格の承認申請を、本所にすることになった。同十三日、本所理事会はこれを承認したが、十五日には東棉と興亜建設とは、五月一日の売買契約を解除して東棉に所有権をもどしたが、同じ日のうちに、再び売買契約を結ぶという不明朗極まりないことをしている。十五日の合意契約解除を、翌十六日に登記したのち、十五日の再契約は十七日に登記した。

というのは、十六日には、公団と興亜建設との間で、公団希望の三十八万坪を興亜が世話するという協定書が調印されて、十七日には三十一万坪の、売買契約が行なわれていたからである。そして、二十日に公団名登記、二十四日には九割に当る十一億五千二百万円が支払われるという、スピード振りである。

三十八年四月一日、日本電建から東棉へ、すべてが売られた時期、岡林は神港建設を解散させてしまった。〝蒸発〟させたのである。多分、税法上のいろいろの問題は、すべてこの「神

港建設」にかぶせたのであろう。そして、八月に「東洋殖産」を設立して、茨城県に取りかかったようだ。

そのころ、今西(前出英文誌社長)の紹介で、佐々木と知り合い、十月には防衛庁政務次官室へ伴い、二十五日に契約、十一月五日登記という段取りであったが、公団と違って、相手も海千山千のしたたか者、筋書き通りに運ばなかったようだ。三十年二月、地元民から四億八千万円で買いあげ、七億五千万円で佐々木に売りつけようとしたのが失敗、それどころか詐欺で告訴され、志賀代議士に国会で問題化されるという、すべて裏目に出てしまった。

この三十四万坪も、しかるべき政界要路の人物を動かして、公団に売りつけようとしたか、公団の情報を取っていたかだったのだろうが、そうそう柳の下にドジョウがおらず、佐々木をえらんだのだろう。志賀質問でビックリしたのが、岡林本人はもちろん、東棉側である。

早速、この話を内緒にせねば、光明池の痛いハラも探られては叶わんというので岡林、佐々木会談が開かれ、告訴取下げという条件で、話が進められた。その時、佐々木の大映手形パクリ事件のさいに、その保釈金二百万円を立替えたということで、佐々木の代理人と称する、白垣某が登場してきた。児玉誉士夫一派の幹部吉田裕彦氏の子分である。

そればかりではない。港会の親分波木量次郎氏も、この広布産業事件を書きたてるオ色気専門の日刊観光との仲介にと乗り出してきた。サア事は大変になってきた。こういう事態になっ

てくれば、金を出して「ヨロシク」と、頭を下げて廻る役廻りは、〝伝統ある綜合商社〟東洋棉花以外の誰でもない。