日別アーカイブ: 2020年5月31日

黒幕・政商たち p.122-123 足立東商会頭、木川田東電社長

黒幕・政商たち p.122-123 「一流社長一〇〇人を総なめにした〝怪物〟」当時としては、この〝怪物〟に記事のピントを合わせるのが、ニュース・ヴァリュウの判断として、当然のことであった。
黒幕・政商たち p.122-123 「一流社長一〇〇人を総なめにした〝怪物〟」当時としては、この〝怪物〟に記事のピントを合わせるのが、ニュース・ヴァリュウの判断として、当然のことであった。

この会社が、当時〝玄人筋〟の注目を集めてきたというのは、他でもない。このほど、(四十年春)自民党田川誠一議員が、「国有財産の厳正な処分をのぞむ、サイエンス・ランドをめぐる諸問題」と題する、署名入りのA5判(月刊誌大)七十八頁に及ぶパンフレットを印刷して、報道関係その他へ配布したからである。

このパンフレットは、経過説明に十七頁、法律的問題点解説に七頁、資料五十頁という内容で、もちろん題名からいっても、サイエンス・ランド反対という、同議員の主張が山盛りになっている。資料篇中の国会議事録の写しなどは、三十九年四月の衆院決算委(五頁)、三十九年十二月の同地方行政委(二十五頁)における、田川議員のランド反対の質問振りが、あますところなく収録されているが、同議員の吊し上げに対する当局側、大蔵省政府委員のノラリクラリ答弁が出ているので、何か田川議員の一人角力の感じがしないでもない。

それというのも、田川議員のランド反対、イヤ、ランドの事業予定地である国有地払下げ反対論に対し、大蔵省側は、払下げを決めている訳でもないし、払下げ申請が出ている訳でもなし、何でそんなにリキムんですか、といわんばかりの馬耳東風、もしくはのれんに腕押しを眺めている、といった風情だからであろう。

ところが、このパンフレットには、体裁から内容にいたるまで、幾つかの問題点があるのが読む者をして、オヤと首を傾けさせ、ハハンとうなずかせるのである。それらの問題点はあと

にゆずって、まず、株式会社サイエンス・ランドについてみよう。

さきに〝玄人筋の間でにわかに注目〟と書いたのは、大衆の密着すべきレジャー企業にもかかわらず、不思議とこの会社のことは、一般の新聞雑誌に書き立てられない。しかも田川議員が国会であれほど問題にしているにもかかわらず、新聞は書かないのである。だから、大衆にとっては、〝注目〟することができず、〝玄人筋〟だけがみつめている、ということになる。

何故、新聞雑誌が書かないかという説明も田川パンフレットに関係してくるので、これもあとにゆずるが、一般のマスコミが取上げなかったというのは、正確ではない。田川議員が反対運動をはじめてからは取上げていない、というべきか、或は、田川議員の反対運動を取上げなかった、というべきである。

というのは、ランドの企画が発表されてからは数誌がその記事を書いている。例えば、アサヒ芸能誌(39・5・3号)は「一流社長一〇〇人を総なめにした〝怪物〟」として、この会社の〝氏素姓〟に焦点を合せている。事実、当時としては、この〝怪物〟に記事のピントを合わせるのが、ニュース・ヴァリュウの判断として、当然のことであった。

会社が発行した三種類のリーフレットがある。

第一回目は、三十九年二月五日現在として、サイエンス・ランド設立委員会名儀のものだ。この五色刷り、厚手アート紙のリーフレットをひろげてみると、それこそ、五色刷りも顔

負けのけんらん豪華さ——発起人御芳名として、足立正東商会頭から、木川田一隆東電社長にいたるまで、実に八十七名にも及ぶ一流財界人の名前が、目白押しに並んでいる。

黒幕・政商たち p.124-125 神奈川県知事・内山岩太郎

黒幕・政商たち p.124-125 〝怪物〟とは、実にこのドンジリに控えた御喜家氏。氏は評論新社社長といえば聞えはいいが、その前身は「総会屋」
黒幕・政商たち p.124-125 〝怪物〟とは、実にこのドンジリに控えた御喜家氏。氏は評論新社社長といえば聞えはいいが、その前身は「総会屋」

第一回目は、三十九年二月五日現在として、サイエンス・ランド設立委員会名儀のものだ。この五色刷り、厚手アート紙のリーフレットをひろげてみると、それこそ、五色刷りも顔

負けのけんらん豪華さ——発起人御芳名として、足立正東商会頭から、木川田一隆東電社長にいたるまで、実に八十七名にも及ぶ一流財界人の名前が、目白押しに並んでいる。

経済誌社長の肩書

第二回は、それより九日後の同年二月十四日現在、名儀も進捗して、サイエンス・ランド創立事務所となり、御芳名も前回の順不同とは変って、御署名順となっている。ここでオカシイのは、署名順でありながら、前回連名に見当らない、「神奈川県知事・内山岩太郎」の名が、勿然と躍り出て第一行目に位置している。第二番足立会頭から、順序は前回と同じく、木川田一隆社長まできて、さらに五島昇東急社長ら七氏が加わり、合計九十四名という圧巻。

仔細に名簿を調べると、前回名簿の中程に位置していた、中司清鐘化社長が抜けており、その代りに内山知事がふえているので、九十四名になる。まさか、中司社長が内山知事のミス・プリントだとはいえまいから、この辺にランド側の浅智恵が覗かれるのだが、末尾には、会社側の役員予定者とみられる、肩書のない山村鉄男、小谷正一、御喜家康正の三氏が控えている。後に問題となってくるのがこのリーフレットである。

さらに第三回、同年四月七日現在となると名儀は「株式会社サイエンス・ランド」となり、創立完了を示し、発起人御芳名は第二回と同名同順の上に、またまた、堀江董雄東銀頭取ら五

氏が新加入、実に九十九名となったのだが、筆頭発起人の内山知事の名前の上には、サッと黒一筋、その名を抹消しているので、実員九十八名。まさに〝赤穂浪士〟以上の豪華キャストである。末尾三氏もまた前回と同じで、印刷されていないその肩書をみてみると、山村氏は日銀理事、小谷氏は電通社長室顧問、御喜家氏は経済雑誌「評」発行所「評論新社」社長とある。

さきに紹介したアサヒ芸能誌のいう〝怪物〟とは、実にこのドンジリに控えた御喜家氏のことである。同誌記事によると、氏は評論新社社長といえば聞えはいいが、その前身は「総会屋」だとしてその時代における一流財界人接近の手口を説明し、この九十八名もまた、このような手口で動員したのだといわんばかりに、見出しに〝総なめ〟などと入れている。

NHKの赤穂浪士が、そのスター動員力を誇示したドラマであったがために、何かと話題になったのと同様に、御喜家氏の科学遊園地計画もまた、財界スター動員力を誇示したがために、話題になると同時に、各種の妨害をも誘起したのであった。

しかも、この計画が、ランドの建設予定地として、十分に話のついていない、神奈川県辻堂海岸の旧海軍演習場跡の、約六万坪をあて、それを印刷物にまで刷りこんだのだからモメるのも当然であろう。

黒幕・政商たち p.126-127 田川議員は反対ののろしを上げた

黒幕・政商たち p.126-127 「公園とすべく検討中だったが、サイエンス・ランド建設の申し出があり内容が立派だから、県の施設計画は取止めて、ランドの建設を促進する」
黒幕・政商たち p.126-127 「公園とすべく検討中だったが、サイエンス・ランド建設の申し出があり内容が立派だから、県の施設計画は取止めて、ランドの建設を促進する」

眠れる湘南の砂丘6万坪

三十九年二月五日現在の第一回印刷物、九日後の内山知事を加えた第二回、そして、三月三日の創立総会を経て、株式代金払込期限の四月六日翌日現在の第三回目まで、僅かこの三枚のリーフレットが、ランド側の思い上りと、それをめぐる騒然たる物情とを、雄弁に物語るのだから面白い。

企画の公表と同時に、御喜家氏は〝怪文書〟の渦に包まれた。氏の〝財界人動員力〟をねたみ、羡しがり、他人の出世や成功を憎む、そんな下品な奴は、どこの社会にもゴロゴロしているものである。もちろん、彼の過去に、意識するとしないに拘らず、多くの敵をつくったこともあるだろう。

モメはじめると、〝金持ケンカせず〟の原則により、名を並ねた財界人たちの間に不安が起り、株式代金の払込は、遅々として進まなかった。第一期払込みの百万株に対し、半分弱の四十二万九千五百株しか集まらなかった。

締切日の翌四月七日、田川議員は衆院決算委で、大蔵省江守管財局長に、この辻堂海岸の国有地六万坪に関して、内山知事が同社の発起人である事実を示して、いうなればヤミ取引をし

ているのではないかという、大義名分の通った、ランド反対ののろしを上げたのである。

単なる事実の羅列にすぎたので、解説を加えねばならない。

まず、辻堂海岸六万坪の土地の件である。旧海軍演習場であったこの一帯約二十八万坪の砂丘は、戦後、米軍演習場に接収された後に、三十四年解除となった。すると、各方面から貸付けやら、払下げやらの申請が出てきたので、大蔵省は諮問機関である国有財産関東地方審議会に諮った結果、三十五年十一月に処分を決定した。

住宅公団(五万坪)、汚水処理場(三万坪)、相模工業学園(三万坪)、公務員住宅(一万坪)、学校用地(二カ所二万坪)、国道、砂防林、街路など(七万坪)と、問題の県立公園(六万坪)、という内容で、ランドはこの県立公園分を予定している。

公園を除いた他の土地は、処分が決まると早速事業を進行しはじめたのだが、神奈川県だけは、何故か国との契約すら結ばないで、そのまま放置していた。大蔵省の催促に対して、県は三十九年三月十六日付の文書で、「公園とすべく検討中だったが、サイエンス・ランド建設の申し出があり内容が立派だから、県の施設計画は取止めて、ランドの建設を促進するから宜しく。無償貸付の申請書は当方の趣旨を認めてくれた後に取下げる」(要旨)という、内山知事名の返事を、実に三年四カ月振りに出したものだ。

大蔵省の厳しい催促状が、県へ出されたのが一月七日、ランドの第二次リーフレットに知事

の名前ののったのが二月十四日、そしてこの返事が、創立総会後の三月十六日というこの日程も見逃せない事実である。

黒幕・政商たち p.128-129 河野・田川対内山・戸川父子

黒幕・政商たち p.128-129 自民党主流が推す内山候補に対し、実力者河野一郎氏(神奈川三区選出)が、五選反対を旗印に、若宮小太郎氏を対立候補として出馬させた。
黒幕・政商たち p.128-129 自民党主流が推す内山候補に対し、実力者河野一郎氏(神奈川三区選出)が、五選反対を旗印に、若宮小太郎氏を対立候補として出馬させた。

大蔵省の厳しい催促状が、県へ出されたのが一月七日、ランドの第二次リーフレットに知事

の名前ののったのが二月十四日、そしてこの返事が、創立総会後の三月十六日というこの日程も見逃せない事実である。

では、内山知事を取巻く客観的事実をみてみよう。前々回の知事選には、氏は五選出馬で反響を呼んだ。五選出馬といえば県立公園計画による、六万坪無償貸付を申請した時も、もちろん知事だ。そして、五選出馬は自民党の分裂をもひき起したのだった。

当時の自民党主流が推す内山候補に対し、実力者河野一郎氏(神奈川三区選出)が、五選反対を旗印に、朝日政治部記者から鳩山首相秘書官となり、当時ラジオ関東常務だった若宮小太郎氏を、内山知事の対立候補として出馬させた。当時の自民党県連会長は、藤山愛一郎氏(一区選出)であり、河野氏の地元である平塚市は、反対派である戸川貞雄市長ときては、県政、市政県連と、すべてを反対派に占められて、中央でこそ実力者であっても、地元では実力を発揮できない状態だったので、河野氏としてはどうしても内山知事を阻止したかったのであろう。

いうなれば、反党行動の最たる横車を押しての、若宮候補担ぎ出しであったから、党実力者同士のこの正面切っての対立抗争は、県議会にまで及んで、県自民党は、河野派二十二、反河野派十七、中間派三という形に分裂してしまった。従って、両候補とも党公認がとれず、保守系無所属としての一騎討ちとなったが、内山候補が現職の強味を発揮して、五選をかち得たと

いう過去の事実がある。

田川議員は二区選出、神奈川新聞記者から河野派として横須賀市を地元に、河野氏の実妹の甥という関係で、なかなかの実力派。

しかも、国有地の払下げ問題に関しては、研究と調査とに実績を持っている。先年も、油壺付近の景勝地が、映画俳優や有名人の別荘地として、タダ同様に貸付けられている事実を取上げたり、川崎市の東部六十二部隊跡が、警察関係に安く払い下げられたり、転売されたりしている点に、警告を発したりしている、国有地払下げ問題のオーソリティである。だが、その実績も、地元である追浜飛行場跡を自ら音頭をとって民間の営利企業に払下げさせた経験から、そうなったのだという批判もある。

怪文書と人身攻撃

先に〝総会屋〟の前身を持ち、現在、経済雑誌社長として紹介した、御喜家氏のもう一つの肩書も重要である。「国民の政治的理解が浅く、政治的民度が低いから、それを高めるため、政財界と国民を媒介する『国民政治経済研究会』を、三十五年六月、安保騒動の渦中に創設」(前出アサヒ芸能誌)して、その専務理事ということである。政治評論家の藤原弘達、戸川猪佐武氏らも、評議員としてその研究会に名を並ねている。