日別アーカイブ: 2020年6月21日

黒幕・政商たち p.148-149 すべての事態は好転しあとは…

黒幕・政商たち p.148-149 三月、自民党県連会長である河野国務相がランド反対を表明した。一方、田川議員もまた、県政記者クラブに現れて会見を行い、ランド反対を一席打ったのである。
黒幕・政商たち p.148-149 三月、自民党県連会長である河野国務相がランド反対を表明した。一方、田川議員もまた、県政記者クラブに現れて会見を行い、ランド反対を一席打ったのである。

その〝実力〟を知ったランド側は、フン詰り脱却のためのコンサルタントとして、氏の指導を仰ぐことになったのである。こうして、発起人の再編成が行なわれた。九十九名の配役表は、姿を消し、ホンモノの発起人十二氏が固まった。この時、サンケイ水野氏も退陣し、五千株の

一株主となって、ランドは芝山氏に敬意を表した。

名の通った財界人十二氏の結束により、ランドは改めて、用地確保の運動をはじめたのである。そこには、ハッタリやテライもなくなり、事業としてのオーソドックスなビジネスだけになったのであった。

市村清社長から、その親しい三木幹事長へも陳情が行われ、安西正夫昭電社長からは、森清氏を通し、河野国務相の実弟、河野謙三参院議員へも了解が求められた。

地元の神奈川県会も同様である。まず、社会党への説得が行なわれ、事業の本質への理解を得て、常盤浄副議長が賛成した。その結果は、同じ社会党の飛烏田一雄横浜市長の支持である。県議会への了解と同時に、県会議員の選挙母胎である、市長会、市議長会が賛成へ動いて、前記のような「意見書」による支持表明へと進んだ

〝河野一郎のクシャミ〟

すべての事態は好転し、あとは、県議会における承認と、大蔵省の審議会への諮問とその答申を待つばかりとなったのである。

これらの動きが、三十九年夏から四十年二月へかけての半年間、いわゆる第二期のランドの姿である。そして、このような好転の変化が、芝山氏の働らきであるかどうかは、断定し得る

限りではないが、少くとも、氏のコンサルタントとしての助言の成果ではあろう。やはり、財界人は財界人らしく姿勢を正し、オーソドックスな形での事業を進めるべきであるという、絶好の教訓なのであった。

つづいて、ランドは第三期に入る。すなわち、四十年三月以降、会社解散までである。この第三期に入って問題の田川パンフレットが登場するのである。第三期の客観的事実といえば、印刷物では、この田川パンフレットだけである。しかし動きではいろいろなことが起きている。

まず、三月、自民党県連会長である河野国務相がランド反対を表明したのである。一方、田川議員もまた、三月のある日、本会議を抜け出して、県政記者クラブに現れて会見を行い、ランド反対を一席打ったのである。その際、三木幹事長に肩を叩かれたが、「総理にいわれても、私はランドに反対だ」と、語ったといわれる。

さて、いよいよ、さきに紹介した通り、田川パンフレットの問題点の解明に入らねばならない。そして、その問題点の監視が、青壮年向け政治社会教育の、早分りパノラマの見どころでもあるのである。

田川パンフレットを読み終えての、第一印象は、この文章にみる限り、田川議員がその政治生命をかけての、ランド反対——すなわち国有地の厳正な処分という、不退転の決意が現れていない、ということである。

黒幕・政商たち p.150-151 日本住宅公団が出資を申請

黒幕・政商たち p.150-151 不退転の決意の見えない議論、そのパンフレットは、いやがらせの反対、反対のための反対、〝政治的解決〟への誘い水の反対、とみられても止むを得まい。
黒幕・政商たち p.150-151 不退転の決意の見えない議論、そのパンフレットは、いやがらせの反対、反対のための反対、〝政治的解決〟への誘い水の反対、とみられても止むを得まい。

田川パンフレットを読み終えての、第一印象は、この文章にみる限り、田川議員がその政治生命をかけての、ランド反対——すなわち国有地の厳正な処分という、不退転の決意が現れていない、ということである。

このパンフレットの表紙の左肩には、宛名を記入するように、「殿」の一字が印刷され、そのウラ頁には、「注」として、「この冊子は、各方面から説明を求められておりますので、その回答として、解説と意見を加えて印刷に付したものです。したがって、不特定多数の方にはお渡しいたしません」と、断り書が書かれてある。

この、無くてもがなの断り書にも、問題はあろうと思われるが、なぜ、田川議員はランド反対の不退転の決意を見せないのかという疑問に答えよう。前に述べたように、〝政治問題化〟の唯一の打開策である、〝政治的解決〟の暁に備えての、自分の退路を残しておかねばならないからである。

国有地問題の権威であり、その実績を誇る田川議員が、自己の政治生命をかけての、不退転の反対であるならば、それはこのパンフレットを読む人をして、必ずや打つべきものがあるはずである。そして、〝政治的解決〟のあとで、ランド実現が行なわれたら、田川議員は辞任し、再び出馬すべきが、政治家の出所進退というものであろう。

不退転の決意の見えない議論、そのパンフレットは、いやがらせの反対、反対のための反対、〝政治的解決〟への誘い水の反対、とみられても止むを得まい。

では、田川パンフレット批判の具体論に入ろう。第一に、これは古い資料を使い、それを批判の根拠としている点である。ここまで延々と、客観的事実にもとづいて、ランドをめぐる動

きを解説してきた通り、その状況はまことに流動的で、ランド側はあやまちを改めるに憚るところなく、前進を続けてきている。従って、ある時点では、非難攻撃さるべき点も、次の時点では、もはや改められているのである。一例をあげれば、内山知事を突如として、御署名順による筆頭発起人に加えるようなランドの小細工である。このパンフレットが配布された、四十年三月現在の時点、すなわち、原稿執筆、印刷の物理的時間経過を差引いた時点において、立論の根拠とせねばならないにもかかわらず、それを故意にさけて、古い資料を使用しているのは田川議員が新聞記者出身だけに、何としても首肯し難いのである。

第二点は、国有地の厳正な処分をのぞみながら、ランド反対は、県立公園促進ではなくて、自案ともいうべき代替案を出している点である。スジを通すならば、昨年の県議会で採択された「意見書」の通り、ランド反対、公園促進であらねばならない。

公園促進の本来の姿にかえした上で、県が四十年一月二十九日付公文書で明らかにしたように、「県財政の現状」等から、公園計画を取止めた時に、はじめて代替案が出さるべきであって、ランド反対イコオル自案推進というのでは、何人をも納得せしめ得ない、我田引水論である。

このパンフレットの文章構成は、露骨に我田引水を主張せず、「白紙になれば(審議会の公園貸付け決定処分が)、この六万坪の国有地には日本住宅公団が出資を申請しているので、そ

の通りに決るかも知れません。(中略)もちろんこのほか、神奈川県が放棄すれば、学校敷地に欲しいという声も各学校から出ております。たとえば、隣りの相模工業学園は、四十年一月二十六日、払下げ申請を行いました」(パンフレット第十一、十二頁)という具合に、ランドよりこの方が公共性、教育性があるじゃありませんか、と、巧妙な主張をしている。

黒幕・政商たち p.152-153 六万坪を住宅公団にせよと

黒幕・政商たち p.152-153 住宅公団——土建業者——河野派資金源という、いまわしい予感は、さきの平井学建設省官房長事件を想起するまでもなく、誰の胸にも浮んでくることである。
黒幕・政商たち p.152-153 住宅公団——土建業者——河野派資金源という、いまわしい予感は、さきの平井学建設省官房長事件を想起するまでもなく、誰の胸にも浮んでくることである。

このパンフレットの文章構成は、露骨に我田引水を主張せず、「白紙になれば(審議会の公園貸付け決定処分が)、この六万坪の国有地には日本住宅公団が出資を申請しているので、そ

の通りに決るかも知れません。(中略)もちろんこのほか、神奈川県が放棄すれば、学校敷地に欲しいという声も各学校から出ております。たとえば、隣りの相模工業学園は、四十年一月二十六日、払下げ申請を行いました」(パンフレット第十一、十二頁)という具合に、ランドよりこの方が公共性、教育性があるじゃありませんか、と、巧妙な主張をしている。

「政治的」は「法律的」に通ず

〝巧妙〟というのは、同六十二頁から六頁にわたって、田川議員は大蔵省管財局長である江守説明員を吊し上げている。三十九年十二月の衆院地方行政委の議事録である。

「そこでもう一つ聞きたいのは、住宅公団のいわゆる住宅と先ほどあなたが営利事業といわれたサイエンス・ランド株式会社とは、どちらが一体公共性を持っておるかお伺いしたい」と、田川議員は質問している。その前には、「さらにもう一つお伺いいたしますが、株式会社サイエンス・ランドは、営利事業であるのかないのか、これをお伺いしたい」と質問したのちの、この質問である。

文字をみても、住宅公団と株式会社ではないか。田川質問は、それから長々と、六万坪を住宅公団にせよといわんばかりに続き、公団の代弁者——利益代表人の如き質問を行っている。

これが我田引水というのだ。

相模工業学園という、学校法人でありながら、手形を乱発している経営不良のブローカー会社のようなものでも学校とつけば教育といえる。これに三万坪を払下げた審議会の処分内容を調査するのが、政治家の本道と思われるが、そんな学校にさらに六万坪を払下げるべきだといわんばかりの、文章構成なのである。もっとも、この学校のことは、国会では何も発言していないのだから、ランド反対論の構成上のアクセサリーということはすぐ読めよう。

住宅公団——土建業者——河野派資金源という、いまわしい予感は、さきの平井学建設省官房長事件を想起するまでもなく、誰の胸にも浮んでくることである。警察官僚のホープであった平井学氏が、河野建設相に登用されたことから、後輩の警察官に取調べられるという事件は、検察の長老岸本義広議員が、大野派であったからとはいえないにしても、後輩の検事に起訴された事件とともに、感銘深い事件である。後者の選挙違反に対し、前者の汚職という点に、田川議員の住宅公団促進論が、ランド反対の大義名分を失わせているのを、惜しまねばならない。

第三点は、このパンフレットによって、出来るだけ余計な〝敵〟をつくるまいという小心な姿勢が見えすいている点である。政治的信念に生きるならば、少々どころか、どんな大敵をも恐れないのが、政治家としての正しいあり方ではあるまいか。

さきに引用した第七頁に、政治評論家戸川猪佐武氏を、「戸川某」と表現している。一流紙読売の政治部主任記者という経歴をもち、政治評論家として新聞雑誌から、ラジオテレビで活

躍し、反河野派とはいえ、衆院初出馬で二万近い得票を得て、泡沫候補ではないという証拠を示した同氏を〝車夫馬丁〟並みの〝某〟という表現を、どうして使用したかということである。

黒幕・政商たち p.154-155 政治的になら可能という暗示

黒幕・政商たち p.154-155 「サイエンス・ランドへの払下げは不可能である旨、法律的な説明をしました。しかし強くは申しませんで、私の老婆心からという意味で、言っただけでした」
黒幕・政商たち p.154-155 「サイエンス・ランドへの払下げは不可能である旨、法律的な説明をしました。しかし強くは申しませんで、私の老婆心からという意味で、言っただけでした」

さきに引用した第七頁に、政治評論家戸川猪佐武氏を、「戸川某」と表現している。一流紙読売の政治部主任記者という経歴をもち、政治評論家として新聞雑誌から、ラジオテレビで活

躍し、反河野派とはいえ、衆院初出馬で二万近い得票を得て、泡沫候補ではないという証拠を示した同氏を〝車夫馬丁〟並みの〝某〟という表現を、どうして使用したかということである。

苗字を冠した某という表現は、同人のその文中における登場意義が、全く重要でないか、または知名度が低くて、姓だけは分ったが名は明らかでないとか、過去の人物で記録がないため明らかにし得ない場合にのみ、このような表現をとるのが、文章作法上の常識である。その常識に反して、あえてこのような表現をとったということは、田川議員のランド反対論の立論が、極めて作為的であるといえる。

それこそ、あれを想い、これを考えるといった、〝政治的配慮〟に満ちている文章である。戸川氏ばかりではない。ランド第二期におけるV・I・P(最重要人物)の、芝山義豊氏の名前が、一切現れてこないのである。芝山氏が、同社の役員でも顧問でも、相談役でもないのは事実だから、同社に関係ない人物として黙殺しているのであろうか。

しかし、田川議員が、経過説明の中で、「上妻某、戸川某」と、芝山氏よりも存在価値の低い人名を出しているのだから、芝山氏黙殺は、何としても不明朗である。

その他、「……問題を究明すべき点はありましたが、これを差控えたのは、与党の一員であるという、私の立場を考えたからであります」(一五頁)

「サイエンス・ランドへの払下げは不可能である旨、法律的な説明をしました。しかし強く

は申しませんで、私の老婆心からという意味で、言っただけでした」(一七、八頁)などの表現に、田川議員の〝政治的退路〟をみるのである。

また、このパンフレット全部を通じて「法律的には払下げ不可能だ」と、必らず〝法律的〟には、の前提を付している点などは、それでは〝政治的〟になら可能、という、暗示とも受取れるのである。

ところが、現実は〝法律的〟にも不可能を、可能とする実例がある。

解散劇にみる損得勘定

河野一郎氏が農林大臣の時、バナナの輸入に関して、大臣権限で「東京市場」令を改正したことがある。

バナナ業界は、輸入業者と加工業者とに別れており、加工業者には輸入ワクが与えられていなかった。ところが、輸入業者は机と電話だけの設備で、青バナナを黄色くするムロなどの設備が必要な加工業者よりも、利巾が大きいのである。

多分、加工業者が、サイエンス・ランドのように、農林大臣に陳情したのであろう。その効果は即座に現れて、市場令は改正になり、加工業者にも輸入ワクが与えられて、〝法律的〟にできなかった加工業者の輸入が、法律的に可能になったのである。

黒幕・政商たち p.156-157 二将功なって財界の百卒枯る!

黒幕・政商たち p.156-157 計画倒産ではないが、計画解散である。もともと、払下げられてもいない国有地を舞台にした、株式出資金名儀の〝恐喝〟にも似た、金集めだったといわざるを得まい
黒幕・政商たち p.156-157 計画倒産ではないが、計画解散である。もともと、払下げられてもいない国有地を舞台にした、株式出資金名儀の〝恐喝〟にも似た、金集めだったといわざるを得まい

田川議員の〝法律的不可能論〟は、法律を改正する〝政治的解決〟への、サゼッションとみるのは、下司のカングリに過ぎるというべきか、どうか。

いずれにせよ、このような経過をもって、ランド問題は、第三期へと進んでいるのである。

そして田川議員の親分河野国務相が、〝反対〟で初登場し、片や三木幹事長の名前も、田川議員の言葉として現れるという、これより三役と拍子木の鳴るところにさしかかってきた。この、政財界早分りパノラマの結末に、何が展示されるであろうか。

第三期は、用地確保の不能から、ついに解散にいたる。芝山氏の登場によって、〝一株主〟と退けられていた、御喜家氏が、再び登場して、解散の主導権を握る。その軍師は小谷正一氏である。

井上靖「闘牛」のモデルと喧伝され、ランド解散後は、評論家の肩書でマスコミに登場。

大宅共栄圏に投じた小谷氏は、中共考察組にも加わり、共栄圏盟主に忠誠をつくす。そして、万博事務総長の椅子を狙う。

一方、御喜家氏は、経済雑誌「評」を、綜合雑誌「新評」へと発展させ、〝敗軍の将〟が〝家を建て〟ている有様である。

二将功なって、財界の百卒枯る! 嗤うべし、連名簿の財界人百名である。さらに、第三期の「会社解散劇」に筆を進めねばならないのであるが、紙数も尽きたようである。

解散の主導権を握った、御喜家、小谷両氏が、会社財産の評価をどのようにしたか。例えば、会社の自家用車が、数万円の評価で関係者に払下げられる、退職慰労金の金額の査定のデタラメさなど、計画倒産ではないが、計画解散である。もともと、払下げられてもいない国有地を舞台にした、株式出資金名儀の〝恐喝〟にも似た、金集めだったといわざるを得まい。

会社幹部はその間に高給を喰み、数回もの外遊を試み、揚句の果は喰い逃げである。私の知っている限りでは、八幡の藤井丙午氏だけが、会社の出資金の損害を、毎月の自分の収入の中から、月賦返済しているということである。他の財界人は果して、どうだろうか。

どうせやるなら、デカイことなされ、である。この時、冒頭の月刊「現代」誌の梶山季之の一文を見る時、うがち得て妙である。