第8章 秘密を売る男の死
昭和四十三年。外交時報九月号=七月二十二日付中華週報によれば、麻薬は中共第一の外貨稼ぎであり、毎年八億ドルのボロイ商売である。
「兵庫県警というのは、神戸港を控えているだけに、何かと問題の多いところでネ。入管との対立から麻薬中国人に逃げられたり」——警視庁外事課のある警部。
第8章 秘密を売る男の死
昭和四十三年。外交時報九月号=七月二十二日付中華週報によれば、麻薬は中共第一の外貨稼ぎであり、毎年八億ドルのボロイ商売である。
「兵庫県警というのは、神戸港を控えているだけに、何かと問題の多いところでネ。入管との対立から麻薬中国人に逃げられたり」——警視庁外事課のある警部。
麻薬Gメン〝愛欲行〟の謎
背後関係のからむ自殺説
「大阪府警では、兵庫県警に連絡すると情報洩れになると、二課でも四課でも警戒してますよ」——府警記者クラブでの話。
「昨年秋に、兵庫県警本部から、神戸水上署の保安課長に栄転した警部が、若いマッサージ師と、日光で心中した事件があった。これが、麻薬のヴェテラン刑事で、結果は〝中年男の愛欲行〟とされてしまったのだが……」ある麻薬取締官はこう語りはじめる。兵庫県警と麻薬——ここに一つのミステリーがある。
四十年十月三日、奥日光の中禅寺湖畔の国有林で、キノコ採りの男が、心中死体を発見して日光署に届出た。そして、それから五日経って、その死体の身許は八月三十日から行方不明になっていた、元神戸水上署保安課長松尾長次郎警部と十九歳のマッサージ師E子さんであることが確認された。その年の三月の異動で県警本部から水上署の保安課長に転任した、麻薬と密輸のべテラン。四十三歳の警部の、若い女に夢中になった、愛欲行とみられたのだった。
だが、「週刊新潮」誌によれば、どうも、単なる〝愛欲行〟とは考えられないようだ。二人の足取りは、九月一日のひるごろ、日光観光ホテルに現れ、一泊して、タクシーで中禅寺湖に向い、九月四日付日光局消印の手紙が、松尾警部の妻と、女の母親宛に出されているだけしか判らない。
この手紙にもとづいて、九月十日、水上署の刑事二名がホテルにやってきた。支配人に女の写真を見せて、宿泊の有無をたずね、宿帳の筆跡に「間違いない」とうなずいた。
「麻薬の捜査だ。部屋に注射器、クスリ包みのようなものがなかったか」とルーム・メイドにたずねた。「クズカゴの中に、クスリ包みのようなものがあったが捨てた」という答えを得ている。
水上署では、警部の失跡理由を、「もともと実直な人で、女の妊娠をオロスというチエも、駈け落ち前に依願退職して退職金を受け取る分別もなかったか」と、単なる〝中年男の愛欲行〟にすぎないというのだが、麻薬とその背後関係のからんだ自殺説もあるという。
というのは、「愛欲のための失跡」に対して、刑事二名を出張捜査させることがオカシイし、それへの批判に対しては「捜査費用は後日遺族に請求する」といっているのだが——と、同誌は疑問を投げている。
事実、神戸水上署の保安課長といえば〝陽のあたる場所〟である。それをしも若い女に狂っ
て、棒にふることはあり得よう。だが、それならば、妻と女の母親への手紙で〝愛欲行〟は判っていたのである。どうして、水上署の刑事二人が遠い奥日光まで、追って来なければならなかったのだろうか。
事実、神戸水上署の保安課長といえば〝陽のあたる場所〟である。それをしも若い女に狂っ
て、棒にふることはあり得よう。だが、それならば、妻と女の母親への手紙で〝愛欲行〟は判っていたのである。どうして、水上署の刑事二人が遠い奥日光まで、追って来なければならなかったのだろうか。
警察では、捜査費用の予算が少ないことが、刑事たちに心身共のオーバー・ワークを強いる結果になることを、常日頃から洩らしているではないか。この出張捜査は、県警本部の了解なしには、行なえるものではない。とすると、やはり、松尾警部の死の愛欲行は、その背後関係を洗わねばならない。
松尾警部心中事件の背景を求めて、阪神の〝極道〟(ゴクドウ。東京でいうヤクザ)たちの間を歩き廻った私は、「松尾警部の事件は、モチロン麻薬があるのさ」「麻薬課長の女房が、オドかされているという、ケッタイな話もあるンヤ」と、彼らの間の、無責任な風聞をきき集めてきた。
それらの中で、フト、私の気持に、何かピンと来る、古い事件があった。一人の麻薬バイ人(ペーヤと呼ばれる、末端の小売り人)が、拘留中に痔のために一般病院に移され、そして間もなくピストル自殺を遂げたという話である。
鈴木兼雄、昭和四年生れ、昭和三十六年四月三日、神戸市生田区加納町四の一山田病院で自殺。神戸の極道、五島会岩田組に属し、常習の麻薬密売人である。
〝サツの犬〟の寝返り
「今回、私が警察でお調べをうける破目になり、反省してみましたが、私のようなインホーマー(注、情報提供者)の犠牲者を再び出さないように、しなければならないこと。麻薬事務所のオトリ捜査の行き方が、これで良いのかといった疑惑を抱くようになりましたことなどから、麻薬捜査の適正化といったことに役立てばと思い、私がインホーマーとして活躍した過程で、知っていることを一切お話したいと思います。これを話すことによって、私自身、自繩自縛のことになる点もあり、また、他から身体生命的な圧迫、迫害といったことも、一応予想されるところです」
このような文章で、この麻薬密売人は兵庫県警防犯課で、昭和三十五年八月十三日、真鍋弥太郎警部補に調書をとられているのである。
この調書の冒頭部分で明らかになったように、鈴木は常習密売人であると同時に、厚生省麻薬取締官近畿事務所のインフォマー(S、スパイのこと)であったのである。そして、鈴木一派の麻薬取締法違反事件は、同時に近畿事務所長近藤正次、同捜査二課長鋤本良徳、東海事務所阿知波重介という、三名の現職麻薬取締官の逮捕へと、意外な発展をしたのであった。
イヤ〝意外な発展〟といっては、正鵠を失しよう。兵庫県警の狙いは、近藤所長以下の、麻薬取締官の逮捕であったといってもよかろう。つまり、商売仇をヤッつけたのであった。
イヤ〝意外な発展〟といっては、正鵠を失しよう。兵庫県警の狙いは、近藤所長以下の、麻
薬取締官の逮捕であったといってもよかろう。つまり、商売仇をヤッつけたのであった。その意気ごみが、鈴木の調書の導入部の作文に、ハッキリと謳われているではないか。
麻薬取締官というのは、麻薬取締法第五四条に、麻薬取締員と共に、その職務権限が示されているが、「厚生大臣の指揮監督を受け、麻薬取締法、大麻取締法もしくはアヘン法に違反する罪、刑法アヘン煙に関する罪、麻薬もしくはアヘンの中毒により犯された罪について、司法警察員として職務を行う」のである。
従って、武器の携行も許されており、「その他の司法警察職員とは、その職務を行うにつき互に協力しなければならない」とまで、定められているが、現実には、麻薬に関しては、警察と取締官とは犬猿の仲である。
さらに、同法第一二条は、「麻薬は、何人も輸入、輸出、製造、製剤、譲渡、譲受、交付、施用、所持、廃棄してはならない」と、厳しい禁止規定を設けてはいるが、同じく五八条で、「麻薬取締官は、麻薬に関する犯罪の捜査にあたり、厚生大臣の許可をうけて、この法律の規定にかかわらず、何人からも麻薬を譲り受けることができる」と、譲り受けに関して、免除条項がある。
この五八条が問題なのである。警察官には許されていない、取締官だけの特権である。ということが、この両者の宿命的対立を招いているのである。つまり、取締官が司法警察員の職務
(犯罪捜査)を行えるのは、麻薬関係だけである。彼らの経歴の多くは、いうなれば、ポッと出の薬剤師で、捜査に関しては、まるでズブの素人である。長年、捜査で叩きあげてきた、職人肌の刑事にとっては、そこが不愉快でならないという、その感情も理解できよう。
Gメンと警官の反目
刑事たちは、麻薬の不法所持者、密売人や中毒患者をみつけ出せば、いわゆるヒッカケ逮捕(他の犯罪容疑で逮捕)もできるし、日本の捜査の現状が、岡ッ引捜査(ショッピいてきて、叩いて、泥を吐かせる)であるだけに、丹念な積み重ね捜査しかできないのである。つまり、麻薬の譲り受けが許されてないから、密売ルートの中に、潜入できないのだ。
これに対し、取締官は、他の法律を援用できないからもちろん、ヒッカケや岡ッ引捜査ができない。つまり、麻薬そのものにタッチして、これを検挙するしか犯罪捜査の手段がないのである。これは、いわば、オトリ捜査である。取締官が、自ら麻薬を買いに行って、その譲り渡しの相手を捕まえる以外に、手がないのである。
この辺のところに、両者の「捜査線」の交錯が生ずるのである。警察が長時間をかけ、遠くからジッと見つめているところへ、取締官がその「線」の中に入りこんで、逃がしたり、警戒されたりして警察の捜査を、ブチ壊すケースが多いことなど、容易に想像されるのである。
麻薬取締法五八条の、取締官の麻薬譲受けの許可は、どのような精神にもとづいて定められたのであろうか。「麻薬の犯罪捜査にあたり」と、但し書きが付されているのだから、これは、いわゆるオトリ捜査を認めているのではないだろうか。麻薬のオトリ捜査が、立法の精神において認められているとすれば、鈴木の警察調書の、冒頭部分のオトリ捜査への非難は警察官、否、兵庫県警麻薬担当官の〝感情〟と判断されよう。
大体からして、教育もないし、極道の麻薬密売人で、あのような〝大演説〟を文字通りにブテるハズがないので、調書の冒頭と末尾とは、筆者の体験からしても、調べ官の「……ということなんだろ?」という、断定的な発言に対し、被疑者は「ハイ」と、うなずくだけだ。
この、県警麻薬担当官の、近畿麻薬取締官への〝感情〟は、鈴木の調書の他の部分にもある。つまり、鈴木逮捕当時の取締官事務所との関係を、わざわざ一項目をたてて、三十五年十月十日に、鈴木入院中の山田病院で(数次の調書の日付をみてゆくと、十月になって入院しているようだ)、兵庫署の生田春次巡査部長が、調書をとっている。
「近畿事務所神戸分室に行きましたところ、分室長が『警察本部が君を逮捕するといっており、今、所長(近藤被告)に連絡をとり、検察庁にもなんとかして頂くよう話をしている」
(中略)
分室長が電話を代れというので受話機をとると、近藤所長が出ていて、『鈴木君、二十二日
間の辛抱や、絶対に否認せい。わしが検察庁に話してその間になんとかする』と、いいましたから、私は所長に、『今まで事件の内容をある程度弁護士から聞いていることでもあり、警察へ行って話をする』と、いいましたが、所長は『絶対に否認せよ』ということを強調し、さらに私に、『警察は君だけでなしに、麻薬事務所ということも計算に入れており、麻薬係だけではなくして、捜査二課(鋤本被告が課長)の方も調べることやろ』といいました。
(その打合せに捜査二課長が神戸分室にきて、鈴木は明朝十時=八月二日=に県警本部へ出頭するから、逮捕は待ってくれとの話し合いがついたことになる)同分室を出ようとすると、奥川取締官が、『ああ、警察がおる』というので、フト顔をあげてみると、刑事らしい男が私の自家用車のおいてあるところに立っておりました。(中略)
私は鋤本氏に対し、『今、捕ったら困る。金を一銭も持っていないし、また、警察も約束しておいて、汚ないなあ』というと、鋤本氏は『警察ってそんなとこや。まア、スーさん、行ったらあんばいよう頼む』と、いいました」
この調書の狙いは、所長以下の三取締官の、鈴木との共謀振り(取締官の起訴事実の麻薬密輸、収賄)と、検察庁へ運動の阻止にあると思われる。このような、県警側の〝感情〟は、当然、取締官側にも反映して、近藤被告(前所長)の裁判所への上申書に、ハッキリと警察との協力を否定している部分がある。