第9章 夜の〝紳士録〟ハイライト
昭和四十二年。八月二十六日付読売新聞=警察庁は二十五日、東日本の各警察本部暴力団担当官の合同捜査会議を開き、最近の暴力団の動きとその対策などについて協議した。その席上、暴力団への総合対策として、これら知能暴力団は犯罪が起ってから捜査するやり方ではとても抑制しきれるものではないので、被害届を出したがらない大会社、最近低調になった市民の暴力追放への関心などを呼びさますことが論議された。
第9章 夜の〝紳士録〟ハイライト
昭和四十二年。八月二十六日付読売新聞=警察庁は二十五日、東日本の各警察本部暴力団担当官の合同捜査会議を開き、最近の暴力団の動きとその対策などについて協議した。その席上、暴力団への総合対策として、これら知能暴力団は犯罪が起ってから捜査するやり方ではとても抑制しきれるものではないので、被害届を出したがらない大会社、最近低調になった市民の暴力追放への関心などを呼びさますことが論議された。
餌食にされた資生堂
盗まれた〝花椿〟の素顔
そのさい関係者から明らかにされたところによると、化粧品トップメーカーの株式会社「資生堂」が、何と一億七千五百万円もの巨額を、知能暴力団にしてやられ、しかもその後も百万円を恐喝されていながら、どうしても捜査当局に被害を認めず、タカリとグルになって百万円もの横領を働らいた社員の上司を、当局の追及をさえぎって海外出張に出してしまうなど、徹底した捜査非協力ぶりで、「これでは積極的に暴力団を培養しているものだ」と暴力担当官たちの間で、はげしく非難されている。
同社は、独禁法の〝抜け穴〟といわれ、当時の公正取引委員会に疑惑の噂さえ呼んだ「再販制度」に支えられて、値崩れのないボロ儲け営業で好収益をあげている会社だが、それらの利潤が大衆や社会に還元されるどころか、暴力団関係者のウマイ汁となっている現実が明らかにされたわけで、華麗な〝花椿〟のウラ側の〝きたなさ〟に、世の指弾を買っている。
事件というのは、すでに時効となっている昭和三十六年八月ごろのこと。当時英国から原料
を入れていた「モルガン化粧品」というのがあった。このうちのモルガン・ポマードなどは、「養毛料入りで、日常愛用しているうち、白髪も黒くなる」などの宣伝文句で売り出されていたが、もともとがあまり優秀品でなかったため、売れ行きはかんばしくなかった。ところが、このモルガン化粧品が鉛分の含有量が厚生省許可基準を上回っている有毒化粧品であるとして、大手化粧品メーカーたちが連名、協力して、厚生省に「製造許可取消し」を陳情したことからはじまった。
モルガン化粧品本舗では、売れ行き不振からデッド・ストックが莫大な数量にのぼったので、これの一掃と換金を計画し、吉川清氏が社長として乗りこんできた。吉川氏は、〝政界の黒幕〟といわれる児玉誉士夫、警察庁指定広域暴力団「錦政会」の稲川角二両氏に〝調停〟を依頼した。
モルガン化粧品に狙われたのは「資生堂」一社で、一番金をもっておりかつ警察沙汰にしないであろうとの見通しをつけ、「資生堂」に対して、「モルガンの鉛分が多いなどと逆宣伝をして、営業妨害をしたのはどういうわけだ。おかげで売れなくなったのだから品物を引き取れ」と強要、同三十六年八月ごろ築地の料亭に、資生堂森治樹社長(現相談役)、伊藤前社長らの三氏を呼びだし、児玉、稲川両人立会の上、吉川社長から強硬な申し入れを行った。
当日の怒声、罵声のものすごさは、料亭の他の座敷の客まで、シーンとしてしまったほどだ
といわれ、捜査当局に参考人として呼ばれた〝見聞者の一人〟は「それこそ森社長以下三人の恐怖におそわれた姿と顔が、目に見えるようでした」と語っているほどであった。
当日の怒声、罵声のものすごさは、料亭の他の座敷の客まで、シーンとしてしまったほどだ
といわれ、捜査当局に参考人として呼ばれた〝見聞者の一人〟は「それこそ森社長以下三人の恐怖におそわれた姿と顔が、目に見えるようでした」と語っているほどであった。
この「料亭会談」の結果、資生堂のモルガン化粧品デッド・ストック買取りが決定され、モルガン化粧品の販売権買収の形の商行為とされることになった。このデッド・ストックを資生堂側は次々と廃棄処分にしたが、税法上の損金扱いをうけるため、国税庁係官の確認を得たほどであった。
モルガン側から次々に持ちこまれた現品に対して、資生堂が支払った金は総計一億七千五百万円におよび、これにさらに経費をかけて廃棄、焼却を行ったので、その実損害は二億を越えるといわれている。
この情報を入手した捜査当局では、もともと、モルガン化粧品への反対陳情が資生堂一社だけの行動ではなかったら、「料亭」のオドシの証拠を固め得たので、立派な〝恐喝事件〟として捜査をはじめたが、資生堂側の徹底した「商行為で、恐喝被害ではない」という拒否にあい、ついにモルガン一味の追及を断念せざるを得なかった。
ところが、さる四十二年五月、日本観光新聞社の幹部五人の恐喝事件を捜査したところ、同社に資生堂の広告が極めて多いことに疑問をもち、さらに同新聞社の資生堂に対する「恐喝事件」が伏在しているものとみて追及した。
恐喝→広告掲載→入金
その結果、日本観光新聞木村伍六社長(恐喝で起訴ずみ)のオイ木村政彦が経営する「日刊観光」紙専属の広告代理店で、資生堂の広告を扱ったさい、資生堂総務課員山本一郎が(仮名)広告料の半額百万円を横領していることが明らかになった。
当局では、山本が総務課員であることから〝資生堂が簡単に恐喝されるナゾ〟を解明するチャンスとみて、同人の取調べをしようとしたところ、早くも資生堂側では当局の企図を察知したらしく、自社内の横領犯人を告訴したり、クビにするどころか、反対にその上司の五ツ木課長(仮名)に「海外出張」を命じて、アメリカに逃走させ、証拠固めを不能にしてしまった。
「これでは〝会社ぐるみの犯罪〟ともいえる。捜査非協力どころか、捜査妨害だ」との声が第一線捜査官の間におきている。
資生堂では四十二年はじめに社長交代が行なわれ、過去の事情を一番知っている森前社長もまた、五ツ木のアメリカ逃走とキビスを接してパリに旅立っているが、これも、当局の捜査を事前に〝封殺〟する手だとみられている。
再販制度というのは、「再販売価格維持契約制度」といって、販売店がメーカーの指示価格で売るという契約を認めたものである。この独禁法の〝抜け穴〟が認められたのは、当時の小
売市場の販売価格の混乱から、消費者保護を必要とするということだったが、やがて混乱が納ってくると、この特例はかえってメーカー保護の妙味をみせてきて、はじめからこの狙いがあったのではなかったか、とさえいわれてきた。
再販制度というのは、「再販売価格維持契約制度」といって、販売店がメーカーの指示価格で売るという契約を認めたものである。この独禁法の〝抜け穴〟が認められたのは、当時の小
売市場の販売価格の混乱から、消費者保護を必要とするということだったが、やがて混乱が納ってくると、この特例はかえってメーカー保護の妙味をみせてきて、はじめからこの狙いがあったのではなかったか、とさえいわれてきた。
それを示すものが藤山愛一郎経企庁長官時代、中山伊知郎氏を会長として設けられた「物価問題懇談会」の四十一年六月の医薬品、化粧品、石けん、洗剤の四家庭用品についての報告書で指摘された再販制度の弊害がこれを雄弁に物語っている。
同報告書の「再販制度の三大欠点」は、
①流通機構の合理化による利益を消費者に還元していない。
②メーカーのか占化によって価格のこう着状態が起っていても、それを小売価格まで反映させている。
③リベートその他の小売業への過大なサービス、過剰な宣伝広告によって、消費者の利益を害するばかりか、浪費を助長する。
以上の三点に示されるようにさまざまな社会的問題を起すなどの弊害をもたらしているというものである。
そこで、公取委では本格的検討の時期がきたとして、国会に「再販制度規制法案」を提出したが流れてしまったもので、山田公取委委員長は、再提案を公約している。
この再販制度が、大正製薬のかつての目覚ましい大躍進をもたらしたほか、資生堂などの大メーカーにはことのほかの恩恵を与えていた。〝ビタミン戦争〟なども、同制度の招いたものだが、いずれもマスコミの大スポンサーであるため、「広告出稿停止」などのポーズで新聞雑誌をおどし、化粧品、医薬品業界の醜い内幕は、いままでほとんど報道されていない。
関係者の話もそえねばならない。
経済専門誌編集長村田忠氏の話
「化粧品と一口にいうが〝制度品〟と〝一般品〟とがあり、クリームでいえば、前者は八百—千円、後者は百—三百円というほど格差がある。品質そのものにはそれほどの差はないようだ。〝制度品〟というのが、問題の〝再販制〟に指定されている品物のことだ。資生堂はじめ大手メーカーがそれだ。
資生堂の例でいうと、定価千円のうち二百四十円は宣伝広告経費だといわれており、〝花椿〟の発行部数は五百万部ともいう。これらの数字をみても、資生堂の収益が想像されよう。
自由化でマックス・ファクターの〝侵攻〟が心配されたが、さすがにそれを押えたのは資生堂だともいわれている。しかし、その実情も、消費者への経費をおしつけによる高価格という〝アグラかき商売〟の結果だというのだから、皮肉なものだ。
広告宜伝費がぼう大だということが、広告代理店とのナレアイの不正や、暴力団のつけこむ
スキとなる。女性がオシャレをして、暴力団を〝養って〟いるとすれば、これほどの喜劇はあるまい」
広告宜伝費がぼう大だということが、広告代理店とのナレアイの不正や、暴力団のつけこむ
スキとなる。女性がオシャレをして、暴力団を〝養って〟いるとすれば、これほどの喜劇はあるまい」
資生堂三浦秘書室長の話
「一月ほど前に経理から転任したので横領社員のことも、アメリカ逃走のことも知らない。昔、モルガン化粧品を相当大量に廃棄したことはあるが、これは資生堂の品質保持と同じ意味だ。ウチは固い会社だから暴力団におどされるなどあり得ない」
東棉の〝痛いハラ〟
こうして、日本観光新聞の広告面から、資生堂問題がでてきたのだから、日本観光新聞はさらに追及された。すると、まさに〝因果はめぐる小車〟である。第四章の住宅公団光明池事件の項で述べた、広布産業事件の東洋棉花がでてきたのである。
というのは、現社長香川英史氏が、故池田首相に極めて近く、その強力な推せんの結果、諸先輩を飛び越えて、東京駐在の専務から社長へと栄進したということである。内部情報が伝える〝巻説〟は、香川社長が、池田政権の資金造りに協力していた、その論功行賞の〝社長〟でもあるという。
また、ダイヤモンド社職員録によると、香川社長は昭和四年の入社であるが、副社長は大正十三年入社、専務の一人が大正十四年入社、もう一人の専務が昭和四年の同期であるから、先輩を飛び越えて、社長になったというのも、事実であるとみるべきである。朝日の志賀質問の記事におくれること旬日にして、素ッパ抜きとお色気で有名な日刊観光が、五月二十二日付の社会面全面を埋めて、「東洋棉花のサギ・政治献金、疑獄化するか」と、派手にやっつけているのである。
そしてまた、軌を一つにして同日付の週刊新聞「マスコミ」が、同様に一面全段で、「第二吹原事件か、防衛庁を舞台に詐欺事件」と、やっているが、例のマンション殺人事件(四十年四月十日)で、〝政治的謀殺か?〟と、一時は騒がれた倉地社長の経営していたこの新聞には、派手な扱いのクセに、見出しに「東棉」の文字が一つも出てこないで、逆に、「原告は前科八犯、どちらもどちらの当事者」という、見出しが目立っている。
奇怪な事実というのは他でもない。日刊観光の記者が、この事件を取材にいったところ、東棉側では、二十万円の現金を封筒に入れて出したという。若いこの記者が、出された金の処置に困って、席を立ち、電話を社に入れ、責任者の編集局次長B氏に報告した。記者に与えたB氏の指示内容は判らないが、記者が席にもどってみると、東棉側の相手はいなくなって、テーブルには二十万円の封筒が置き去りにされていた。