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正力松太郎の死の後にくるもの p.186-187 「ナンダ。たべないのか」

正力松太郎の死の後にくるもの p.186-187 報知の部長会が、社の近くの天ぷら屋の二階で開かれたという。部長連は、どんな御馳走かと、固唾をのんでいるうちに、皆の前に配られたのは一つの天ドンだったという。
正力松太郎の死の後にくるもの p.186-187 報知の部長会が、社の近くの天ぷら屋の二階で開かれたという。部長連は、どんな御馳走かと、固唾をのんでいるうちに、皆の前に配られたのは一つの天ドンだったという。

報知労組が、そして常に共闘する報知印刷労組が、いわゆる〝強い組合〟になってしまって、報知が〝会社でない〟状態にまで陥ってしまった遠因はここにあった。いま、隼町界隈でみる、あのウソ寒いドロ沼闘争の芽は〝中興の祖〟竹内の衣鉢を継ぐものに、人を得なかったというに

ある。

竹内は、アダ名を〝無法の竹〟といわれた親分肌の男であった。弁説さわやかならず、よく社会部記者になれたと思えるほど。それなればこそ、能く〝中興の祖〟たり得たのであろうか。これに反し、亨社長は〝奇行〟の人であり、大の組合ギライであった。組合ときけば、手にフルエがくるといわれるほど。

亨と面識すらない私には(彼の読売幹部時代にスレ違いで、私が退社した)、彼の人柄を語れない。しかし〝風聞〟のエピソードを紹介すれば、彼の〝奇行〟が納得されよう。

報知の部長会が、社の近くの天ぷら屋の二階で開かれたという。部長連は、どんな御馳走かと、固唾をのんでいるうちに、皆の前に配られたのは一つの天ドンだったという。亨社長は、自分の前におかれた天ドンをとりあげるや、早速やりだした。しかし、傍らの連中にはたべろとすすめない。

社長から遠くはなれた末席の連中は、ガヤガヤとやり出したが、近くの連中は、社長がすすめないので、手もつけられずにいたところ、自分の天ドンをくいおわった社長は、フト隣席をかえりみて、「ナンダ。たべないのか」というや、その一つに手を伸ばしてフタをとり、天ぷらだけを食ってしまった、という。

また一日、読売の編集局長を招いて、レクチュアをさせたという。そして、社長は局長と自分

とにだけ、コーラをたのんで、うまそうに飲みほした。列席の他の者たちにはお構いなしなので、これを怪んで読売の局長が問うたところ、「貴方はしゃべってノドが渇いたろうから御馳走する。私はのみたいからのんだ。みなも、ほしいものは、自分で金を出してのめばよい」と、答えた。徹底した合理主義である。

合理主義も結構である。そして、千円以上の会食申請書(取材で誰かにあって、のみくいする費用が、千円を越す場合には、申請書を出すのだそうである)は、社長の決済印が必要だとして、自分でハンコを押すのも結構である。だが、新聞という不思議な企業は、それこそ、「人」が資本なのである。合理主義に徹して、企業の合理化は図れない。

例えば、取材の電話代である。出張先からの電話送稿の場合、週刊誌などでもそうであるが、地方から本社に電話を入れ、自分の所在地の電話番号を教えて切る。数分後に、本社から電話がかかってくる。通話料を本社の直通電話に負担させて、送稿をするが、出張の精算書では、抜け目なく「電話料」をとるのである。こうして数千円の金を浮かせるのが、記者の英気を養う小遣い銭になる。天ドンやコーラや、千円の会食費審査のアミにはかからない〝不合理〟なのである。

記者経験しかない補佐役に、合理主義の社長のもとで、組合側はドンドン力を伸ばし、すぐ時限ストの実力行使に入り、会社側には十分な人事権すらない労働協約までモノにしてしまった。そして、印刷所とは常に共闘である。組合員五九〇名だから、会社側の管理職だけでは、新聞の

発行ができない。それどころか、印刷工場(二六○名)の同調で、刷りにも困る。こんな事情もあって、会社はつねに譲歩に譲歩を重ねた。