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正力松太郎の死の後にくるもの p.190-191 電光石火の社長交代劇であった

正力松太郎の死の後にくるもの p.190-191 かつては〝報知は亨、日本テレビは武〟とみられていた。武に柴田秀利、亨に棚橋一尚が、秀頼と石田三成の関係に見たてられていた。ところが、柴田去り、棚橋は追われという、大番狂わせである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.190-191 かつては〝報知は亨、日本テレビは武〟とみられていた。武に柴田秀利、亨に棚橋一尚が、秀頼と石田三成の関係に見たてられていた。ところが、柴田去り、棚橋は追われという、大番狂わせである。

あれを想い、これを考えると、どうしても「引退」の線しか残らない。こうして、冒頭の引退発表とはなったものの、正力にはまだ跡目の問題で諦らめきれないものがあったに違いない。それが、「郷土には人材が多く後進に道をゆずる」の一行を、やはり削除しておこうという思いつきになったのであろう。もしも、読売をはじめ、報知、NTVなどすべてが安泰であれば、小林を読売から引き抜いて、郷里で選挙に専念させられるであろうのに……という、正力の苦悩が読めるのだ。

報知の事態は、もう瞬時の遅延も許されなくなっていた。このまま推移せんか、正力亨にキズがつくばかりであった。ということはとりも直さず、亨社長ではすでに処理しきれなくなっていた、ということでもある。

そして、電光石火の社長交代劇であった。新社長の菅尾でさえ、事前に十分には知らされていなかったという。菅尾は務台副社長系列の業務畑出身。一時新聞をはなれて遊んでいたのを、読売系地方紙の部長に迎えられ、大阪読売の発刊当時に、読売へもどってきた大阪読売の業務、さらに九州で西部読売発刊当時にも派遣されたという、根っからの業務人。一方、棚橋に代って報知印刷の社長になった岡本は、サンケイが前田久吉から水野成夫に交代した時の人事部長である。いうなれば、〝無能〟な編集出身者にかわって〝首きり浅右衛門〟がのりこんできた、というところであろうか。

それでこそ、「岡本体制、断固粉砕」とか「組合つぶしをやめろ」の、アジビラかハハンと読めるのである。とすると、菅尾、岡本の両社長は、報知建て直しのため、正力の御馬前で討死を覚悟の、辛いお役目とも見られるのである。すると、正力亨を温存のための交代とも思えてくる。

かつては、〝報知は亨、日本テレビは武〟とみられていたので、これらの〝幼君〟のお守り役が、いうなれば〝先物買い〟で現れてきたのである。前述したように、武に柴田秀利、亨に棚橋一尚が、秀頼と石田三成の関係に見たてられていた。ところが、柴田去り、棚橋は追われという、大番狂わせである。亨が日テレに取締役副社長で入ってくると、武は、よみうりランドへ移った。こうして、武はまだ読売興業には重役として加わってはいないが、武の分担はこの部分ということになるらしい。

さて亨を迎えた日テレはどうか。柴田専務の退社が、一般局員には何の影響も起さなかったように、亨副社長の入社も、何ということもなかった。古い局員の一人はいう。

「テレビは新聞とちがって、徹底した機械のメディアでしょう。機械がわからなければ、さらに口出しはできませんよ」と。

さらに気づいたことは、亨は巨人軍のオーナーでありながら、球場へ現われることが少くなったし、何かと公的な席へ出ること、つまり、新聞紙面に登場してくることが、以前にくらべると、はるかに減ってきたということがある。