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正力松太郎の死の後にくるもの p.216-217 週刊誌に〝売りこんだ〟男がいる

正力松太郎の死の後にくるもの p.216-217 私の正論には、名前を明らかにしたがらない奴ばらの〝務台と小林のケンカさ〟というササヤキでは、抗すべくもない。あの〝務台文書〟を、〝内紛の発火点〟とみるには、人間の善意をネジ曲げすぎているのであった。
正力松太郎の死の後にくるもの p.216-217 私の正論には、名前を明らかにしたがらない奴ばらの〝務台と小林のケンカさ〟というササヤキでは、抗すべくもない。あの〝務台文書〟を、〝内紛の発火点〟とみるには、人間の善意をネジ曲げすぎているのであった。

新聞、週刊誌に追尾す

読者は、ここで、さきほどの記者になりたい、青年の話を想い起して頂きたい。

もはや、〝大きくなりすぎて〟しまって、読売精神さえ地を払っている読売で、読売精神を鼓吹しようとして檄を飛ばし、それゆえに内紛を喧伝される——務台の悲劇的とさえもみられ得る姿。そしてその務台自身が、六百万部を目指し、輪転機九十六台が稼動する工場を内蔵した、大社屋建設の巨歩を進めつつあるという現実。

読売は〝大きくなりすぎた〟のではなくて、務台自身の努力で、〝大きくしすぎた〟のである。昭和四年の読売入社から四十年。その人生のすべてを賭け、正力を助け、女房役に甘んじ、販売店主が〝造反〟したときけば自らのり出して解決するという、母親がわが子を育てるほどの、こまやかな愛情をそそいで、それが大きく成長した今日、もはや、務台の〝読売への愛情〟は、読売社員に理解されなくなっているのである。——

業務の務台ばかりではない。編集の原とて同じである。

〝務台文書〟のような、直接のキッカケこそないが、編集局長原四郎に対する、〝批判〟の声は、

澎湃として起っている。そして、キッカケのないことが、務台攻撃を一そう強めたとみられるのである。

週刊誌記者は、以上のような私の〝解析〟の前に「読売の内紛」を記事にすることを諦めたのであった。私の正論には、名前を明らかにしたがらない奴ばらの〝務台と小林のケンカさ〟というササヤキでは、抗すべくもないのであった。全くのところ、あの〝務台文書〟を、〝内紛の発火点〟とみるには、あまりにも真実に眼をおおい、人間の善意をネジ曲げすぎているのであった。

「これでは、企画通りにゆかなくなった。絵にならないなあ(記事にならない)。折角の材料だったのに……」

週刊誌記者は、アキラメの悪いツブヤキを残しながら、私に一礼して去っていった。そして、明らかな事実として残ったことは、そのようにネジ曲げた趣旨で、この話を週刊誌に〝売りこんだ〟男が、読売社内にいる、ということであった。

現実に、読売には〝内紛〟などはないし、しかも、務台—原体制は、さらに続くということである。そして、務台—原体制にアダをしようという動きも、その体制が育て、培ってきた「読売新聞」そのものがさせるのである。ここに、従来の意味における「新聞」で従来の意味の「新聞人」として成長した、務台—原ラインの、現実とのギャップがあるのである。

務台—原体制が、さらに三、四年もつづくであろうという、見通しの根拠を述べねばならない。