「萩原を次長にしてデスクにおかねばダメです。私を警視庁キャップにして下さい。裁判所キャップには渡井が適任です。この方が社会部のためになると思います」と。部長は「萩原か? 幾つだ」「私と同期ですから、三十七でしょう」「まだ、早いだろう」と。そのまま話は終った。
森村次長は三十二歳、辻本次長は三十三歳で、いずれもデスクとなり、読売社会部の歴史を造
った人である。三十七歳の次長が早いということは、有能無能にかかわらず、人事は順序ということだろうか。社会部長が代って、部員の六、七割だかを移動したという毎日では、私と同期の昭和十八年組をデスクにして、「東京祖界」の亜流ながら、「白い手・黄色い手」「暴力新地図」などの佳作を生んでいる。読売のために惜しまねばならないことだ。
ある記者はついにたまりかねたようにいった。「君と萩原と加藤祥二がデスクにならねば 社会部も終りだネ」
私はその時「いや、デスクに萩原と加藤がいれば充分さ、オレは警視庁だ。オレはデスクという行政官より、万年取材記者だ」「でないと、雑誌原稿が書けないからだろう」あとは笑いになった。
私は警視庁や警察官が好きなので、真面目に警視庁へ代りたいと希望するようになった。今度の横井事件の〝五人の犯人の生け捕り〟は私の警視庁転任土産ともいうべき着想もあったのである。
今、こうして、失敗して退職する結果になってみると、私には萩原君の「もしかすると、もうオレたちの方が古いのではないか」という呟きが想い起される。会社の金をできるだけ使わずにサラリーだけ働き、危険を冒したりして会社に迷惑を与えず、企業としての合理的かつ安全な、その上幹部のためにのみなる社員——これを「新聞」という企業が要求するような時代に変っているのではあるまいか。
私は今でも新聞記者だ!
今やテレビと週刊誌の興隆は凄まじい。テレビの撮影機が、アイモのように手軽になれば、新聞の速報性は、ラジオとテレビに完全に奪われるであろう。映画「先生のお気に入り」で、ゲーブルの社会部長が「考え種」の宿題をドリス・デイの新聞学教授に出される。「何故?」「何故?」と、深く掘り下げた「考え種」が新聞に要求されているというのだ。
だが、日本の現実では、それを「特別レポート」という題で実現しているのは週刊誌である。だが、これをやるのが「新聞」の仕事ではないだろうか。
役所の発表をそのまま取次ぐだけのサラリーマン記者を整理して、その分は通信社へまかせ、「考えダネ」記者のみを抱える時ではあるまいか。〝社会部は事件〟である。私たちは〝古く〟ない。
サツ廻り記者が、遊びに興じ、送稿するのは各社のうちの代表が聞いてきたことを変形するだけ。捜査主任の名前も顔も知らなくなり、クラブ記者もまた同じく、発表記事を変形させるだけならば、これはもはや一通信社に加入すれば事足りるはずだ。多数の記者を専属に抱えておく必要はない。
編集者も仕事のさいに部下の機嫌をとる必要もなく、朱筆を入れるのに遠慮もいらなくなる。すると新聞は印刷能力と、少数のプランナーと編集記者と、自社ものの少数の記者しか必要とし
なくなってこよう。