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最後の事件記者 p.402-403 スパイ操縦者だったラストボロフ

最後の事件記者 p.402-403 ソ連代表部二等書記官、ユーリ・A・ラストボロフが、大雪の中に姿を消した。ラ中佐は、在日ソ連スパイ網について供述した。失踪が明らかになると、志位正二元少佐は保護を求めて出頭してきた。
最後の事件記者 p.402-403 ソ連代表部二等書記官、ユーリ・A・ラストボロフが、大雪の中に姿を消した。ラ中佐は、在日ソ連スパイ網について供述した。失踪が明らかになると、志位正二元少佐は保護を求めて出頭してきた。

「部長、マンホールや列車妨害なぞの小事件で、部長が直々に放送を頼みにいって、ペコペコしたら貫禄が下がるよ」
「なんだい? ヤブから棒に放送なんて」
「ヘッ! おとぼけはよそうョ。だって、重要犯罪の捜査のために、なくした古ハガキを探して下さいって、頭を下げたろうが……。大刑事部長の高い頭をサ」

彼の眼に、チラと走るものがある。

「都本部が、この上、三橋以上の重要犯罪をやりだしたら、こちらがもたないよ。エ? 三橋以上の大事件をサ!」

三橋といって、表情をみる、人の良さそうなニヤリが浮ぶ。KRから借りてきた書類を突きつける。またニヤリが浮ぶ。

「いずれにせよ、私は知らないよ」

この答弁をホン訳すると、「そうです。三橋事件ですが、私は、詳しいことを知りません」ということだ。反応は十分だ。もうここまでくれば、上の者にいわせねばならない。

次は片岡隊長だ。彼は殉職警官のお葬式にでかけていたので、これ幸いと電話をかけて呼び出す。

「隊長! 例の紛失モノはどうしました」

「エ? 何だって?」

「ホラ、ラジオ東京に頼んだ、三橋事件の証拠品のハガキは、出てきましたか?」

「ア、それは警備部長の後藤君に聞いてくれよ」

ズバリ切りこまれて、隊長は本音をはいてしまった。——こうして、当局は否定したけれども、翌三日のトップで出ると、ついに国警本部の山口警備部長が認めた。

その日の審査日報も引用しておこう。「紛失した鹿地証拠は、誠にスッキリとした鮮やかなス

クープで、最近の大ヒットである。国警にウンといわせ得なかったのは残念だが、放送依頼書の複写がそれを補っている。関係者の談話も揃って、全体に記事もよくまとまっている」夕刊「鹿地証拠紛失はついに国響もカブトを脱いで、その事実を認めた」

ラストボロフ事件

三橋事件の余波が、いつか静まってきた、二十九年一月二十四日、帰国命令をうけていたソ連代表部二等書記官、ユーリ・A・ラストボロフが、大雪の中に姿を消してしまったという、ラ事件が起きた。ラ書記官の失踪はソ連代表部から警視庁へ捜索願いが出たことから表面化したのだが、その外交官は、実は内務省の政治部中佐で、スパイ操縦者だったというばかりか、失踪と同時に、米国へ亡命してしまったということが明らかになった。

この事件ほど、当局にとって、大きなショックだったことはあるまい。米側の手に入ったラ中佐は、直ちに日本を脱出、在日ソ連スパイ網について供述した。その間、日本側が知り得たことは、ラ中佐の失踪を知って、警視庁へ出頭してきた、志位正二元少佐のケースだけである。

一月二十七日、代表部から捜索願いが出されて、二十四日の失踪が明らかになると、志位元少佐は保護を求めて、二月五日に出頭してきた。二等書記官が実は政治部の中佐、そして、ソ連引揚者で、米軍や外務省に勤めた元少佐参謀。この組合せに、当局は異常な緊張を覚えたが、肝心のラ中佐の身柄が、日本に無断のまま不法出国して、米本国にあるのだから話にならない。

最後の事件記者 p.404-405 形は自殺であっても〝殺された〟のである

最後の事件記者 p.404-405 この事件は、つづいて日暮事務官の自殺となって、事件に一層の深刻さを加えた。日幕、庄司両氏は、「新日本会」というソ側への協力団体のメムバーだった。
最後の事件記者 p.404-405 この事件は、つづいて日暮事務官の自殺となって、事件に一層の深刻さを加えた。日幕、庄司両氏は、「新日本会」というソ側への協力団体のメムバーだった。

一月二十七日、代表部から捜索願いが出されて、二十四日の失踪が明らかになると、志位元少佐は保護を求めて、二月五日に出頭してきた。二等書記官が実は政治部の中佐、そして、ソ連引揚者で、米軍や外務省に勤めた元少佐参謀。この組合せに、当局は異常な緊張を覚えたが、肝心のラ中佐の身柄が、日本に無断のまま不法出国して、米本国にあるのだから話にならない。

ヤキモキしているうちに、米側から本人を直接調べさせるという連絡があり、七月中旬になって、公安調査庁柏村第一部長、警視庁山本公安三課長の両氏が渡米して、ラ自供書をとった。

両氏は八月一日帰国して裏付け捜査を行い、日暮、庄司、高毛礼三外務事務官の検挙となったのだ。もっとも五月には、米側の取調べ結果が公安調査庁には連絡された。同庁では柏村第一部長直接指揮で、外事担当の本庁第二部員をさけ、関東公安調査局員を使って、前記三名の尾行、張り込みをやり、大体事実関係を固めてから、これを警視庁へ移管している。

この事件は、つづいて日暮事務官の自殺となって、事件に一層の深刻さを加えた。東京外語ロシア語科出身、通訳生の出身、高文組でないだけに、一流のソ連通でありながら、課長補佐以上に出世できない同氏の自殺は、一連の汚職事件の自殺者と共通するものがあった。現役外務省官吏の自殺、これは上司への波及をおそれる、事件の拡大防止のための犠牲と判断されよう。そして犠牲者の出る事実は、本格的スパイ事件の証拠である。

スパイは殺される

ソ連の秘密機関は大きく二つの系統に分れていた。政治諜報をやる内務省系のMVDと、軍事諜報の赤軍系のGRUである。三橋のケースはGRU、ラ中佐はMVDであった。第二次大戦当時、ソ連の機関に「スメルシ」というのがあった。これはロシア語で、〝スパイに死を!〟という言葉の、イニシアルをつづったものだ。

だから、〝スパイは殺される〟という。このラ事件の日暮事務官、三橋事件の佐々木元大佐など、いずれも形は自殺であっても、この不文律で、〝殺された〟のである。日暮事務官はなぜ死んだか? もちろん、東京地検で、取調べ中の飛び降り自殺だから、遺書などあり得ようはずがない。

高毛礼元事務官の一審判決は、「懲役一年、罰金百五十万円」である。彼は報酬として四千ドル(百四十四万円)をソ連からもらっているので、この罰金がついたのである。納められなければ一日五千円に換算して、労役場へ留置する、とあるから、これが三百日になる。合計して一年十カ月の刑である。日暮と同じ程度の刑だから、なぜ妻子を残して死なねばならないのだろうか。

終戦時の在モスクワ日本大使館。そこでは佐藤尚武大使以下、在留日本人までが館内に軟禁されていた。そして、この軟禁につけこんで、ソ連側ではスパイ獲得工作の魔手をのばしてきた。「幻兵団」と同じである。

これは、ラストボロフの自供した、ソ連代表部のスパイ一覧表をみれば明らかだ。ラ中佐の亡命時に、狸穴の代表部直結のスパイは四十八名いた。これを所属別に分類すれば、MVD四十三名、GRU三名、海軍二名、人種別では、日本人三十五名、白系ロシヤ人七名、その他の外国人六名となっている。

三十五名の日本人をさらに分類すると、戦後ソ連抑留者二十名(幻兵団)のほか、外務省官吏、新聞記者、旧将校らとなっている。日幕、庄司両氏は、終戦時にモスクワにいたばかりではなく

「新日本会」というソ側への協力団体のメムバーだった。ことに日暮は佐藤大使の秘書的な立場にいたので、逮捕された三人のうちでは一番重要な人物と目されていた。

最後の事件記者 p.406-407 朝日が日暮、庄司の逮捕をスクープ

最後の事件記者 p.406-407 彼らが逮捕された時の、みじめな私を忘れることができない。私は朝日をひろげてみて、胸をつかれた。不覚の涙がハラハラと紙面に落ちてニジンだ。
最後の事件記者 p.406-407 彼らが逮捕された時の、みじめな私を忘れることができない。私は朝日をひろげてみて、胸をつかれた。不覚の涙がハラハラと紙面に落ちてニジンだ。

三十五名の日本人をさらに分類すると、戦後ソ連抑留者二十名(幻兵団)のほか、外務省官吏、新聞記者、旧将校らとなっている。日幕、庄司両氏は、終戦時にモスクワにいたばかりではなく

「新日本会」というソ側への協力団体のメムバーだった。ことに日暮は佐藤大使の秘書的な立場にいたので、逮捕された三人のうちでは一番重要な人物と目されていた。

彼らが逮捕された時の、みじめな私を忘れることができない。八月十四日の公安三課のラ事件のその後の経過発表も、私の公休日という悲運だった。しかも、その時には、すでに日暮、庄司両氏を逮捕していたのである。私は休日出勤してきて、かねて準備していた、志位元少佐の記事を書いた。これはスクープではなかったが、読売が一番詳細、正確な記事だった。

不覚の涙

だが、そのあとがいけない。感じとしては誰かを逮捕しているようなのだが全くつかめない。私用を抱えていた私は、公休日でもあったので、取材をいいかげんで投げ出してしまった。そして、出かけようとした時、一人の親しいニュース・ソースに出会った。

「お忙しそうにどちらへ?」

「イヤ、ちょっと、なに……」

「アア、目黒ですか」

彼は一人で納得してうなずいた。いつもの私なら、ここで「エ? 目黒?」と、ピンとくるはずだったが、それを聞き流してしまったのである。

翌十五日の日曜日朝、私は朝日をひろげてみて、胸をつかれた。不覚の涙がハラハラと紙面に

落ちてニジンだ。朝日のスクープは、一面で日暮、庄司の現役公務員の逮捕を報じているではないか。

しかも、読売は、どうであろうか。「政府高官逮捕説を、警視庁が否定」と、なくもがなの断り書を、小さな記事ではあるが、出しているのである。昨夜、電話で、「警視庁は誰も逮捕していないと、否定していますよ」とデスクに断ったのが、記事になっている。確かに、平事務官なのだから、〝政府高官〟ではないかもしれない。しかし、朝日が逮捕をスクープして、読売が否定しているのでは、あまりの醜態であった。デスクが、「じゃ断り書を記事にしておこう」といった時、私は「そんなのは、デスクの責任逃れだ」と思っただけで、あえて反対しなかったのも、痛恨の限りであった。

調べてみると、この両名の逮捕は、警視庁が極秘にしていたのを、この事件を防諜法制定の道具に使おうと思っていた緒方副総理が、朝日の政治部記者へ洩らしたのだ、といわれている。その上、「目黒へ」といった係官から聞けば、彼は私が急いでいたので、ちょうどまだガサ(家宅捜索)をやっていた、目黒の庄司宅へ行くのだと思ったという。つまり、私がすでに庄司、日暮の逮捕を知っているものだと極めこんでいたのであった。

私は泣いた。これほどの醜態はなかった。取材源が警視庁だろうが、内閣だろうが、新聞記者には、「紙面で来い」というタンカがある。取材源や取材の経過などは、それほど問題ではないということだ。「紙面に現れた結果」で、勝負を争う実力の世界である。

最後の事件記者 p.408-409 刻一刻、血が流出—死ぬのかな!

最後の事件記者 p.408-409 帰宅したのは午前四時、くずれるように眠りこんだが、母に叩き起された。血まみれの胎児はまだ臍帯をつけたまま、何かボロ屑のように投げ出されて、産婆さんが狼狽しきっている。
最後の事件記者 p.408-409 帰宅したのは午前四時、くずれるように眠りこんだが、母に叩き起された。血まみれの胎児はまだ臍帯をつけたまま、何かボロ屑のように投げ出されて、産婆さんが狼狽しきっている。

私は泣いた。これほどの醜態はなかった。取材源が警視庁だろうが、内閣だろうが、新聞記者には、「紙面で来い」というタンカがある。取材源や取材の経過などは、それほど問題ではないということだ。「紙面に現れた結果」で、勝負を争う実力の世界である。

私は特ダネ記者といわれた。それがこのていたらくであった。もちろん、私の記録の中にも、輝かしいものばかりではない。失敗のみじめな歴史も多い、だが、この時ほどに、ニガイ思い出はない。

横井事件の犯人隠避も、惨敗の記録ではある。しかし、これは爽快な敗け戦である。思いかえしてみて、いささかも恥じない、快い記憶である。「紙面で来い!」と、タンカをきりそこねたのである。しかも、私の先手を警察に奪われて、警察の先手を、また奪い返したからである。

スパイ事件は私のお家芸であったのだ。それで、あの三橋事件の勝利も、自信をもって戦えたからである。それなのに、最後の「目黒へ?」という言葉も、聞き流してしまうとは!

朝日をみつめながら、私のホオはまだ涙でぬれていた。

記者は悲し

八月二十八日、日暮事務官が飛び降り自殺をした。この日も私は公休日であった。前夜から、雑誌原稿を徹夜で書き続けていたが、ラジオは入れっぱなしだ。やがて正午のニュースが、自殺事件を伝えた。

——迎えが来るナ。

もう数枚で原稿は終るところだ。そう感じていると、ちょうど書きあげた時、迎えの自動車がきた。

妻は二度目のお産で、もう予定日だった。二度目だから自宅で生むという。そのため、この八月へ入ってから、何かと雑用の多い毎日だったのである。日暮事務官の自殺とあれば、事件はいよいよ深刻化しよう。もしかすると、今夜は帰れないかもしれない。私は、妻の手を握って、その旨を話し、無事にお産を済ませるようにと、激励した。一睡もしないまま、社へ出た。

それから丸一日、取材のため駈けずり廻って、社会面の全面を埋める、「ラストボロフ事件の真相」という原稿を、数人の記者たちとまとめた。三部作である。

第一部が、志位自供書、第二部、捜査経過、第三部の解説——最終版の校正刷りを見終って、帰宅したのは午前四時、くずれるように眠りこんだが、約一時間ほどで母に叩き起された。

「アト産が出ないので、出血が止らないのよ。すぐお医者さんを呼んできて……」

隣の部屋に入ってみると、血まみれの胎児は、まだ臍帯をつけたまま、何かボロ屑のように投げ出されて、産婆さんが狼狽しきっている。妻は、もう顔面が蒼白、力ない表情で私をみる。

暁の町を走って、医者を叩き起した。ドンドン叩いても、返事のないいらだたしさ。事情を話して往診をたのみ、自宅へかけもどってきた。

「オイ、確りしろよ。いま、お医者さんが来るから」

励ましの言葉をかけても、もう妻には答える気力もない。剥離しない胎盤のため、刻一刻、血が流出しているのだ。

——死ぬのかな!

最後の事件記者 p.410-411 妻の死に目と仕事のどちらをとる

最後の事件記者 p.410-411 私は二日間の完全な徹夜で疲れ切っていた。「子供が生れたそうじゃないか。お祝いだナ」ハシゴで飲み歩いて泥酔した。玄関のドアの外で、私はグッスリとねむりこんでいた。三日目の朝である。
最後の事件記者 p.410-411 私は二日間の完全な徹夜で疲れ切っていた。「子供が生れたそうじゃないか。お祝いだナ」ハシゴで飲み歩いて泥酔した。玄関のドアの外で、私はグッスリとねむりこんでいた。三日目の朝である。

励ましの言葉をかけても、もう妻には答える気力もない。剥離しない胎盤のため、刻一刻、血が流出しているのだ。
——死ぬのかな!

不吉な予感が走る。もし、今夜の仕事が、張り込みにでもなっていたら、どうだったろうか。私は妻の死に目にもあえない!

私は考えた。妻の死に目と、仕事のどちらをとるであろうか、と。

——私は仕事をとるだろう。新聞記者という仕事だから……。

——フン、その場に直面しない、仮説だからそんなことがいえるのだろう。

——バカな、オレは仕事をとるさ。現に今夜だって、もし取材が終らなければ、帰宅しなかっただろう。そうすれば、妻の死に目に会えないじゃないか。仮説じゃないさ。

——そうか。それもよかろう。〝仕事の鬼〟ってところだな。そんなに、仕事が大切なものなら世の常の夫のように、妻のみとりもできないのなら、何故、結婚なンかしたんだ? 妻子が可哀想じゃないか。

——そりゃ、オレだって、家庭がほしいさ。第一、オレは子供を幸福にしてやりたかったんだ。

——フン、御都合主義だナ。それで、仕事と妻の死とでは、仕事をとるというのか。

——新聞記者だもの、仕方がないよ。

——記者、記者っていうけど、新聞記者の仕事って、そんな大切なものなのかい。一体、何なのだね。

——エ?

私は二日間の完全な徹夜で、疲れ切っていた。流血死に近づいてゆく妻のまくらもとで、そん

な自問自答を続けていたが、フト、新聞記者という職業についての、疑問が湧き起ってきた。

抜いた、スクープだ、といって、一体それがなんであろう。抜かれたといって、何であろう。新聞記者という奴は、何者なのだろうか。

医者がきた。血は止った。妻はコンコンと眠りに落ちた。死の影は遠のいた。新生児は産声をあげ、血を洗い流してもらって、安らかに眠っている。もう正午すぎである。

KRからの、ニュース解説の依頼がきて、録音に出かけた。六千円ばかりの謝礼をもらって社へ帰ると、「子供が生れたそうじゃないか。お祝いだナ」と、同僚たちがよってきた。ハシゴで飲み歩いて泥酔した。「新聞記者って何だろ」と考え続けていたようだ。その翌朝、玄関のドアの外で、私はグッスリとねむりこんでいた。三日目の朝である。

立正佼成会潜入記

立正佼成会へスパイ

警察の主任になったり、旅館の番頭などと、芝居心をたのしませながら仕事をしているうちに三十一年になるとまもなく、警視庁クラブを中心とした、立正佼成会とのキャンペーンがはじま

ってきた。

最後の事件記者 p.412-413 防衛庁と通産省があいているのだが

最後の事件記者 p.412-413 「お前のようなズボラを、一人のクラブへ出すのは、虎を野に放つのと同じだという意見もあるんだ。チャンと出勤しろよ。」
最後の事件記者 p.412-413 「お前のようなズボラを、一人のクラブへ出すのは、虎を野に放つのと同じだという意見もあるんだ。チャンと出勤しろよ。」

立正佼成会へスパイ
警察の主任になったり、旅館の番頭などと、芝居心をたのしませながら仕事をしているうちに三十一年になるとまもなく、警視庁クラブを中心とした、立正佼成会とのキャンペーンがはじま

ってきた。

その前年の夏に、警視庁に丸三年にもなったので、そろそろ卒業させてもらって、防衛庁へ行きたいなと考えていた。「生きかえる参謀本部」と、「朝目が覚めたらこうなっていた——武装地帯」という、二つの再軍備をテーマにした続きものを、警視庁クラブにいながらやったので、どうもこれからは防衛庁へ行って、軍事評論でもやったら面白そうだと思いはじめたのであった。

そのころ、名社会部長の名をほしいままにした原部長が、編集総務になって、景山部長が新任された。それに伴って人事異動があるというので、チャンスと思っていると、一日部長に呼ばれた。アキの口は防衛庁と通産省しかない。病気上りででてきていた先輩のO記者が、通産省へ行きたがっていたので、これはウマイと考えた。

「防衛庁と通産省があいているのだが、警視庁は卒業させてやるから、どちらがいい」

という部長の話だった。えらばせてくれるなどとは、何と民主的な部長だと、感激しながら答えた。

「通産省は希望者もいることですから、ボクは防衛庁に……」

といいかけたら、とたんに、

「何いってるンだ。通産省ほど社会部ダネの多い役所はないのに、今までの奴らは、保養のつもりで書きやがらねえ。お前がいって、書けるということをみせてやれ」

と、全く話が変になってしまった。そればかりではない。

「お前のようなズボラを、一人のクラブへ出すのは、虎を野に放つのと同じだという意見もあるんだ。チャンと出勤しろよ。従来の奴が書けないクラブで、お前に書かせようというのだから」

とオマケまでついてしまった。こうして三十年の夏から、通産、農林両省のカケ持ちをやっていたところに、キャンペーンに召集がかかってきた。ヒマで困っていたので、よろこび勇んで、はせ参ずると、ニセ信者になって、佼成会に潜入して来いというのだ。

立正佼成会のアクドイ金取り主義をつかむのには、その内部の事情を知らねばならない。当然事前に潜入して調べておいてから、キャンペーンをはじめるべきなのに、戦いがはじまってしまってから、スパイに行けというのだから、チョット重荷だった。だが、面白そうである。

共産党だって、フリーの党員というのはないのだから、佼成会も、入会を紹介してくれる導き親がなければならない。ことに、読売側から潜入してくるだろうという声もあって、警戒厳重だというから、よほどウマイ状況をつけないと、入会できない。そこで、導き親を探しはじめた。

「誰か知っている人に、佼成会の信者はいないかネ」

部内はもちろん、社内の誰彼れと、まんべんなく声をかけたが、神信心を必要とするようなのは、新聞社にはいないとみえて、どうにも手がかりがないままに数日すぎた。

手がかりをつかむ

と、ある日、Tというサツ廻りの記者が、「どうもそれらしい心当りをみつけた」と知らせて

くれた。日蓮宗には違いないが、佼成会かどうか、確かめてみるというのだった。

最後の事件記者 p.414-415 生きる希望を失った男

最後の事件記者 p.414-415 中からヨレヨレの古ズボンをみつけ出した。膝はうすくなり、シリは抜けている。Yシャツはエリのきれたの、クツ下はカカトに穴のあいたのと、一通りの衣裳が揃った。
最後の事件記者 p.414-415 中からヨレヨレの古ズボンをみつけ出した。膝はうすくなり、シリは抜けている。Yシャツはエリのきれたの、クツ下はカカトに穴のあいたのと、一通りの衣裳が揃った。

「誰か知っている人に、佼成会の信者はいないかネ」
部内はもちろん、社内の誰彼れと、まんべんなく声をかけたが、神信心を必要とするようなのは、新聞社にはいないとみえて、どうにも手がかりがないままに数日すぎた。
手がかりをつかむ

と、ある日、Tというサツ廻りの記者が、「どうもそれらしい心当りをみつけた」と知らせて

くれた。日蓮宗には違いないが、佼成会かどうか、確かめてみるというのだった。

都内のあるターミナルの盛り場、その駅付近には例によって、マーケットの呑み屋が集っている。そのうちの一軒、五十幾つになる人の良さそうなオバさんが、佼成会の、あまり熱心でなさそうな信者だった。そんな信心ぶりだから、記者に狙われるような、〝業〟を背負っていたのだろう。でも、オバさん自身は、信者だということで、心の安らぎを得ているに違いない。

私は車をとばして家に帰った。ボ口類をつめた行李を引出すと、中からヨレヨレの古ズボンをみつけ出した。膝はうすくなり、シリは抜けている。Yシャツはエリのきれたの、上衣も古ぼけたの、クツ下はカカトに穴のあいたのと、一通りの衣裳が揃った。

サテ、そこで困ったのは、ボロオーバーがないのである。タンスの中を探すと、戦争中に叔母が編んでくれた、〝準純毛〟のセーターがでてきた。ダラリとして、重くて、とても今時は、人の前で着れた代物ではない。コレコレとよろこんで着こんだ。

メガネも、当今流行のフォックス型では困る。子供のオモチャ箱から、昔風の細いツルのフチをみつけた。クラブのベッドの下に突っこんであった底の割れたボロ靴もあった。

衣裳はこれですっかり揃った。台本は、すでに考えてある。霊験あらたかな立正佼成会の御教祖様「妙佼先生」の御慈悲にすがる、あわれな男である。

年齢は三十歳位、中学卒。戦後、中小企業の鉄会社に勤めていたサラリーマン。朝鮮動乱の好景気で遊びを覚え、妻との仲がうまくゆかなくなる。やがて、動乱が終り、会社は左前。サラリ

ーはおくれがちで、生活はつまってきた。妻とのいさかいが多くなり、会社はついに前年秋に倒産。失業する。愛想をつかした妻は、彼をすてて逃げてしまう。生きる希望を失った男。しかし、まだ失業保険が半年あるので、新橋のある保険会社で、外交の講習を受けており、ヤケにもなるが、何とか立直りたいとの努力も忘れさってはいない男だ。

銀座を呑み歩いていたころ、知り合ったのが新聞記者T。その記者をたずねて、何か職を世話してもらおうと考えた。記者はその男に一パイ呑ませて帰してしまおうと、オバさんの呑み屋に入ってくる。

(写真キャプション 宗教団体は外圧には強く、佼成会も大きく伸びた)

にせのルンペン

ライトが消えて、暗い舞台のドン帳のかげで、ドラが鳴りひびいて、幕が静かに上る。

最後の事件記者 p.416-417 あなたの全盛時代はいつも銀座

最後の事件記者 p.416-417 「それはいいっこなしですよ。女房には逃げられるし、生きる希望も元気もなく、そうかといって死ねもせず、こうして昔のよしみで、あなたに就職を頼みにくる始末ですよ」
最後の事件記者 p.416-417 「それはいいっこなしですよ。女房には逃げられるし、生きる希望も元気もなく、そうかといって死ねもせず、こうして昔のよしみで、あなたに就職を頼みにくる始末ですよ」

にせのルンペン
ライトが消えて、暗い舞台のドン帳のかげで、ドラが鳴りひびいて、幕が静かに上る。

オバさんは、ガラリと入ってきた客の顔をみてニッコリとする。サッソウとした青年記者のうしろから、油気のない頭髪の、貧乏たらしい男がついてきた。厳寒の候だというのに、オーバーもきていないのだ。二人が台の前に腰かけると、記者は酒を注文した。

「まア、Tさん。久し振り。アンタはいつもパリッとして、元気でいいわねえ」

「イヤア、ここしばらく忙しくてね」

オバさんと彼の挨拶がすむと、酒が出される。

「うまい。やはり一級酒は違うな。もう、もっぱらショウチュウで、しかも、このごろは御無沙汰ばかりだから……」

男はいやしく笑って、ナメるように酒をのむ。オバさんはフト、この奇妙な二人の取合せに疑問を感じたようだ。Tは素早く感じとって、

「しかし、鈴木さんあなたの全盛時代はいつも銀座だからね」

男は鈴木勝五郎といった。下品な仕草で酒を味わうようにピチャピチャと舌を鳴して、

「それはいいっこなしですよ。女房には逃げられるし、生きる希望も元気もなく、そうかといって死ねもせず、こうして昔のよしみで、あなたに就職を頼みにくる始末ですよ」

終りの方は、自分にいいきかせるように、やや感慨をこめていった。鈴木という名も、間違えないよう、同僚の名前を合せたものだ。私はオバさんの視線が、チラと自分に注がれたのを感じた。

「しかしね、Tさん。近頃の読売は一体何サ。佼成会のことをあんなにヒドク書いてさ。あたしァ、アンタにとっくりいって聞かせねば、と思ってたんだよ」

「ア、そうそう。オバさんは祈り屋だったッけね。だけど、佼成会だったのかい? それじゃくるんじゃなかった。読売と佼成会とじゃ、全然マズイじゃないか」

「イエ、いいんですよ。それはそれですから、いらしてもいいんだけどサ」

オバさんは、謗法罪といって、佼成会の悪口をいうとバチがあたる罪だとか、読売の記事についての、冗談まじりの口論をはじめる。鈴木は、はじめ興味なさそうに、やがて、だんだんと聞耳を立ててくる。

「もっともアンタは、♪今日も行く行くサツ廻り、ッてンだから、あの記事には関係ないんでしょ」

「そうさ。もっとエライ記者がやってるのだよ」

「じゃあ、本当は謗法罪で大変なところなんだけど、まあ勘弁してあげる。お悟りといって、バチが当るから、決してあんな記事は書いちゃダメですよ」

酒をのむ手も止めて、二人の話を聞き入っていた鈴木が、この時フイと口を開いた。

「しかし、オバさん。その妙佼さまを拝むと、本当に救われるかい? オレのような奴でもかい?」

オバさんは確信にみちて言下に答えた。