最後の事件記者 p.410-411 妻の死に目と仕事のどちらをとる

最後の事件記者 p.410-411 私は二日間の完全な徹夜で疲れ切っていた。「子供が生れたそうじゃないか。お祝いだナ」ハシゴで飲み歩いて泥酔した。玄関のドアの外で、私はグッスリとねむりこんでいた。三日目の朝である。
最後の事件記者 p.410-411 私は二日間の完全な徹夜で疲れ切っていた。「子供が生れたそうじゃないか。お祝いだナ」ハシゴで飲み歩いて泥酔した。玄関のドアの外で、私はグッスリとねむりこんでいた。三日目の朝である。

励ましの言葉をかけても、もう妻には答える気力もない。剥離しない胎盤のため、刻一刻、血が流出しているのだ。
——死ぬのかな!

不吉な予感が走る。もし、今夜の仕事が、張り込みにでもなっていたら、どうだったろうか。私は妻の死に目にもあえない!

私は考えた。妻の死に目と、仕事のどちらをとるであろうか、と。

——私は仕事をとるだろう。新聞記者という仕事だから……。

——フン、その場に直面しない、仮説だからそんなことがいえるのだろう。

——バカな、オレは仕事をとるさ。現に今夜だって、もし取材が終らなければ、帰宅しなかっただろう。そうすれば、妻の死に目に会えないじゃないか。仮説じゃないさ。

——そうか。それもよかろう。〝仕事の鬼〟ってところだな。そんなに、仕事が大切なものなら世の常の夫のように、妻のみとりもできないのなら、何故、結婚なンかしたんだ? 妻子が可哀想じゃないか。

——そりゃ、オレだって、家庭がほしいさ。第一、オレは子供を幸福にしてやりたかったんだ。

——フン、御都合主義だナ。それで、仕事と妻の死とでは、仕事をとるというのか。

——新聞記者だもの、仕方がないよ。

——記者、記者っていうけど、新聞記者の仕事って、そんな大切なものなのかい。一体、何なのだね。

——エ?

私は二日間の完全な徹夜で、疲れ切っていた。流血死に近づいてゆく妻のまくらもとで、そん

な自問自答を続けていたが、フト、新聞記者という職業についての、疑問が湧き起ってきた。

抜いた、スクープだ、といって、一体それがなんであろう。抜かれたといって、何であろう。新聞記者という奴は、何者なのだろうか。

医者がきた。血は止った。妻はコンコンと眠りに落ちた。死の影は遠のいた。新生児は産声をあげ、血を洗い流してもらって、安らかに眠っている。もう正午すぎである。

KRからの、ニュース解説の依頼がきて、録音に出かけた。六千円ばかりの謝礼をもらって社へ帰ると、「子供が生れたそうじゃないか。お祝いだナ」と、同僚たちがよってきた。ハシゴで飲み歩いて泥酔した。「新聞記者って何だろ」と考え続けていたようだ。その翌朝、玄関のドアの外で、私はグッスリとねむりこんでいた。三日目の朝である。

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