山本課長と公安調査庁の柏村第一部長(現警察庁次長)とが、ラ氏にはじめて逢ったのは、ワシントン特別区内のあるビルの一室、せいぜい六坪ぐらいの簡素な事務室であった。
二人が部屋に入ったときには、すでにラ氏は椅子に腰かけて待っていた。課長はいままで写真で見馴れている顔だったので、すぐラ氏だと分ったし、ラ氏に間違いないと思った。彼はソ連人と思えないほどしょうしゃに背広を着こなしていた。
誰も紹介はしなかった。たがいに立上って手を差し出した。課長が、
『ハウ・ア・ユウ』
といったのに対し、彼は明るく笑って、
『ゴキゲンヨウ』
と答えた。ほんとに明るい笑顔で、なんの屈託もなしに、アメリカの亡命生活を楽しんでいるようだった。
取調べには、何人かの米側係官も立会っていた。通訳は使わず、すペて流暢な日本語が使われた。課長は自分で訊問し、自分で調書をとった。米側でも二世が同時に調書をとっていた。午前と午後、昼食時に一休みするだけの毎日が、一週間続いた。夜はホテルで調書の整理につぶれ、遊びに行くどころではない。調べの場所は毎日変った。
すっかり調ベが終って、いよいよ最後という日に、少しばかり雑談が出た。取調べ中にラ氏が話す東京の地理がとても明るいので、課長が感心してみせると、
『もう一度 、東京で暮したい。……だけどその時には、もう貴下の部下も私を尾行しないでしょうね』
と、さびしく笑った。
最後の別れの握手をしたとき、課長はこの一週間の間、莫然として感じていたことにハッと気がついた。
『何を惑じていたと思います? それは、彼の手がいつもいつも、冷たいンですョ。顔はあんなに明るいのに……』
課長は居並ぶ記者連を見渡しながら、こう話の締めくくりをつけて笑った。
こうして課長は一週間にわたって聴取った調書を携え、八月一日に帰国した。これこそラストヴォロフの吿白「日本をスパイした四年半」の一切合財なのである。この調書に現れた人名こそ、彼の協力者たちであるか、他のソ連人の手先であるか、いずれにせよソ連スパイ網に躍っていた人たちである。
それから二週間、この調書の裏付け捜査が公安三課全員の努力で、突貫作業となって行われた。多くの人が任意出頭という形式で呼ばれて調べられたり、訪ねてきた刑事に訊かれたりした。尾行や張り込みも行われた。