黒幕・政商たち p.108-109 人を介して児玉誉士夫にあった

黒幕・政商たち p.108-109 緒方の訴えをきいて、児玉は「まず調べさせよう。そして可能性があれば引受けてやる」といった。赤坂の千代新に、すぐさま某政治記者と某経済記者が呼びつけられた。政治記者は中曾根康弘をつれてくる
黒幕・政商たち p.108-109 緒方の訴えをきいて、児玉は「まず調べさせよう。そして可能性があれば引受けてやる」といった。赤坂の千代新に、すぐさま某政治記者と某経済記者が呼びつけられた。政治記者は中曾根康弘をつれてくる

そのスッタモンダの最中の三十六年ごろ、緒方は赤坂で地元代議士の福田に会見した。

「巌洞鉱山なんて知らない」と開口一番、福田はいった。しかも時間がたってから、「お前のところは二十億もの補償を要求しているそうだナ」

高飛車にこういわれて、緒方は福田の行動に疑問を感じた。

福田は「九頭竜ダム」には自民党北陸開発委員として、あらゆる面で関係していたし、当時通産省公益事業局(局長大堀弘)ではダム計画は相当に福田の圧力をうけていたとみていた。

三十八年春、休山したままの日本産銅は、力つきて株式会社シリカ(資本金二億五千万円)に吸収合併された。緒方謙吉(克行の父)は引退し、緒方がシリカの社長となった。三十九年春、シリカは電発に対し長野鉱区一・四億、巌洞鉱区四億、計五・四億の補償を要求した。前年暮に、九頭竜ダムは電発がやることに決ったが、計画は変更され、巌洞鉱業所の水没部分は、はじめの要請時よりも減っていた。

そして、電発がシリカ(日本産銅時代をも通して)の補償問題に全くとりあってくれないため、三十九年一月、緒方は大野伴睦を訪れて陳情した。大野は納得して子分の村上勇にいいつけ、電発の藤井総裁を呼びつけた。その〝実力〟ぶりをみて彼は問題解決を期待したが、大野はまもなく死去した。

大野が藤井総裁を呼びつけた二カ月後、シリカは正式に五・四億の補償を要求、さらに四カ月後の三十九年七月、電発との間にはじめて折衝が行なわれた。

「電発を交渉のテーブルにつかせてくれたのは、大野の力と村上勇の努力だと思う」と緒方は回顧する。テーブルにはついたが、電発は数字を示さない。時は流れてゆく。緒方は苦慮

して、人を介して児玉誉士夫にあった。

緒方の訴えをきいて、児玉は「まず調べさせよう。そして可能性があれば引受けてやる」といった。赤坂の千代新に、すぐさま某政治記者と某経済記者が呼びつけられた。政治記者は中曾根康弘をつれてくる、経済記者は電発大堀副総裁工作をする、と役がふられた。

のちに緒方が内幕話をきいてみると、中曾根康弘は大堀にあい、大堀から緒方の悪口をきかされるや、「アレはダメだ」と児玉に復命したが、児玉に「オレは緒方が正しい主張をしていると思う。大体電発は官僚的で怪しからん会社だ。もう一度検討してやってみてくれ」とハッパをかけられて、ようやく本気で動きだした。

電発工作資金に一千万円

三十九年十二月二十日すぎ、児玉から緒方のもとに「補償はとってやる。資金一千万円を持ってこい」と連絡があった。押しつまっての現金一千万円の工面に緒方は泣いた。二十七日に、児玉の家にとどけにゆくと、二人の記者が坐っていた。児玉は現金をかぞえてからいった。

「この中の三百万は、この男(政治記者を示し)の関係している出版社の株代金にするぞ」

緒方は児玉の堂々たる事務処理に感嘆しながら、ハイと答えた。「き誉ほうへんは別として

やはり魅力ある人物ですナ」緒方は金の工面の苦しさも忘れ、大船にのった安堵をおぼえたという。