緒方克行氏はいう。
「これは私の見聞した事実の記録だ。政治の裏側にふれてみて、はじめて気がついた。これが新生日本の現実とあっては、海軍特攻の仲間たちの死も、それこそ犬死だと感じた。そして、
私自身の政治への無関心が誤りだったと知った。田中角栄氏の部分の〝邪推〟は、あくまで私自身の〝邪推〟の型の見本であって、田中角栄氏はそうしたというのではないことをお断りしておく」
これに対し中曾根康弘氏は
「緒方という人に会った記憶はない。児玉さんの家に行ったことはある。児玉さんに頼まれて、電発の補償のことを調べたことは記憶している。しかし、電発側の話では、緒方という人は、あまりタチの良くない人ということだった。また、この問題に深入りすると傷つく、やめろと忠告する人もあり、私はすぐ手を引いた」
だが緒方氏は話す。
「政治記者の話からも、私と中曾根さんが児玉家で会ったのは事実だ。相手は顔の知れる人だし、名刺を交換しなくとも初対面の挨拶ぐらいできる。第一、『緒方に会った〝記憶〟がない』といっているので、『会ったことはない』とはいっていないではないか。いま、清潔ムードで売出し中なので、児玉さんに使われて走ったり、利権に関係しているという印象をもたれたくないのでしょう」
そして、終りに「池原ダム」汚職のケースをつけ加えておかねばならない。
不発に終った「池原ダム」汚職
さる四十三年三月三十一日朝、奈良地検は東京都千代田区丸の内一の一、電源開発株式会社の本社事務所を収賄(経済関係罰則の整備に関する法律)の疑いで捜索、同社管財課長富樫貞夫の任意同行を求め取調べたのち逮捕した。
このように電発本社が家宅捜索をうけ、現職本社課長が逮捕されたというケースは、電発創設以来はじめてのことである。しかも、電発の補償をめぐっての、有利な取計いを期待しての贈収賄事件であるだけに、大きなニュース・ヴァリューがあると見られるのだが、大阪各紙が地元の事件として妥当な扱いをしたのに、なぜか、東京各紙の扱いは不当に小さく、ほとんど眼につかない扱いであった。
事件は昭和三十八年ごろ奈良県吉野郡下北山村地内に、電発が池原ダムを建設することになり、同村漁業協組が漁業補償をうけることになった。同協組はこの補償交渉を同村三尾真一村長に委任して電発との間に、昭和四十年十二月に一億一千三百万円で契約が成立した。
ところが、三尾村長と勝平敬一組合長の二人が共謀して、この補償金のうちから、当時、現場の用地課長であった富樫に四十万円、全国内水面漁業組合連合会長の重政誠之代議士に百万円、重政氏に紹介されて、交渉に当ってもらった、愛知県選出の上村千一郎代議士に五十万円
をそれぞれ勝手に支払った。