もちろん、私と、深江だけが〝共犯〟ではない。渡部も、客の二課長も、〝共同正犯〟である。そし
て、一緒になって、大笑いしている夫人——これだけ、デキた女房は、そうザラにはいまい。
渡部は、その後、山形から代議士に一期出たのち、弁護士事務所を開いている。田中角栄弁護団にも参加した。この稿が終わって、単行本にしたならば、夫人に謝りに行かねばならない、と、考えている次第だ。
警視庁の公安三課長室で、その後、渡部に会った時、「オイ、あのあとの日曜日、襖の張り替えと、壁の塗り替えで苦労したぜ」と笑っていた——三十五年前の、警視庁記者と課長とは、こんな〝付き合い方〟だったのである。いまのクラブ記者には、信じられないのではあるまいか。
この〝乱痴気騒ぎ〟には、後日譚がある。とどのつまり、二人は酔いつぶれて、公舎二階の客間に、夫人が整えてくれた、新品の客ブトンに眠ってしまう。枕許には、水差しまで置いてある、というモテナシであった。
ところが、夜半、深江が、ノドが乾いて、目を覚ます。「オイオイ、ミタボロフ。女がいないゾ」と、私をゆり起こした。
水を呑みながら、やっと、課長公舎に泊まったところまで、記憶がよみ返ってきた。
「なんだい。バカにしやがって! 警視庁記者が、女のいないところで、寝られるかってンだ!」
どちらが、そういい出したのかは、いまとなっては、定かではない。ちなみに、前年の二十九年に、ソ連大使館二等書記官、というのは仮りの名、ラストボロフ政治部中佐が、アメリカに拉致されたか、
亡命したか。大きな事件が起き、私がスクープした「幻兵団」が、具体的に裏付けられた。
あの、冷たいといわれる原四郎でさえも、
「三田! 幻兵団も、やっと〝認知〟されたぞ!」と、大ニコニコで、私に、話しかけてきたほどである。それで、私は、通称〝ミタボロフ〟と、呼ばれていた。
私たち二人は、如何にして〝脱獄〟するか相談して、窓を開け、新品の客ブトンを庭に放り投げた。一人分が、敷二枚、掛二枚だったろうか。二人は、二階から、そのフトンの山に飛び降り、塀をのりこえて、道路に出たが、その時は気付かなかったけれども、もちろん、ハダシであった。
深夜、パトロールにも見とがめられず、タクシーを拾って、新宿遊廓へと飛ばした。そして、翌五日のひるごろ、やっと目を覚ましたが、ハタと困った。クツがないのである。
五日は、御用始めである。警視庁へ電話して、「公安三課長の別室」という。警視庁の課長はエライもので、巡査部長の運転手と、女子職員がついている。
「若松クン? 今朝、課長、迎えに行った? ソウ、なにか、預かりもの、なかった?」
「クツでしょう。まあまあ、フトンを庭に投げ出して、雪も降らなかったから、いいようなもンですが、で、どこにいるんです」
「シ、ン、ジュ、ク…」
「新宿? で、どこに届ければ…」
「ユ、ー、カ、クのナントカ樓…。新宿通りから、右へ入って…」