正力松太郎の死の後にくるもの p.172-173 醜い人間関係と身分制度

正力松太郎の死の後にくるもの p.172-173 朝日新聞は繁栄を誇るエリート集団の極楽である。だが、一歩内部に立入ると、不信と猜疑に満ちた、醜い人間関係が、陰惨な空気をよどましている。そして、これが紙面に反映してくる。……朝日とは、そのような体質を持っている。
正力松太郎の死の後にくるもの p.172-173 朝日新聞は繁栄を誇るエリート集団の極楽である。だが、一歩内部に立入ると、不信と猜疑に満ちた、醜い人間関係が、陰惨な空気をよどましている。そして、これが紙面に反映してくる。……朝日とは、そのような体質を持っている。

朝日新聞の社員名簿を繰ってみたまえ。カッコ内に、部長待遇、次長待遇などの肩書きのついた、平社員の名が並んでいる。そればかりではない。社友二五三名、客員九八八名、定年者三○五名、年金者二六九名が、現役社員と共に並んでいる。社友は退職時の〝階級〟が局次長待遇以

上、客員は次長待遇以上、定年者は平社員、年金者は停年前に受給資格を得た人と、ハッキリと身分制度、階級制度が敷かれていることを示している。

〝面喰いの朝日〟という言葉もある。「緒方竹虎は一面貴族的な風格もあり、いわゆる朝日新聞を対外的に代表するのに、打ってつけの風貌と風格を備えていた」(細川隆元)ことが理由で、美土路昌一が明治四十一年入社、緒方が三年おくれての後輩だが、社内での序列では、反対に緒方が美土路より三年ぶり先んじていたといわれている。「緒方にくらぶれば、美土路の短軀な風貌は、決して見栄えがしなかった」(細川隆元)だからである。

現役である限り、外部から、練習生と非練習生との差別は判らない。私も、多くの記者クラブで、朝日記者たちと付き合ったが、この差別を知らなかった。もちろん、社員名簿をみても特記されていない。

しかし彼らの内側では、この階級社会が厳存しているのである。練習生の誰も彼れもが、私の知っている朝日記者の一人一人について、即座に、何年組か、練習生か、それ以外かを、打てば響くように答えてくれる。彼らの関心の深さを物語っていよう。

そして、給仕出身記者の現職を名簿でみる時、草柳大蔵流に「朝日の記者街道は〝二車線〟」などと、美化した表現を用いて、現実をおおいかくすことに、憤りさえ感じたのだ。そしてまた、〝面喰いの朝日〟は練習生であることの要件の一つに、端正な、知的な〝ジャーナリストら

しい〟容貌が求められているのを知った。朝日社員で造作が悪いのは、練習生でないと知るべきであろう。細川隆元の意識にさえ、「朝日を代表するに相応わしい顔」という、貴族趣味がひそんでいる。

あてはめてみるならば、東京と大阪、硬派と軟派、村山派と反対派、練習生と無資格者の対立が錯綜複雑化しているのだから、〝病めるアメリカ〟以上である。外部からはうかがうこともできない、この醜い人間関係は、その身分制度と相俟って、内部では血みどろな権力闘争を繰りひろげている。「新聞社とても、所詮人間の集りであり、嫉視、反発、陰謀、抗争、謀略、憎み合い、相互扶助、忠誠、愛社、親和、美談、悲喜劇、ありとあらゆる人間性露出の場であることに変りがない」(細川隆元)と、社友さえも認める。

外部から眺める限り、朝日新聞は繁栄を誇るエリート集団の極楽である。だが、一歩内部に立入ると、不信と猜疑に満ちた、醜い人間関係が、陰惨な空気をよどましている。そして、これが紙面に反映してくる。……朝日とは、そのような体質を持っている。