だが、一方では、全社員六千名に、〝檄〟を飛ばさざるを得ないという務台の気持を、裏返してみるならば、「読売も大きくなりすぎたなあ」という、深い充足感と、わずかながらの不安、落胆の入りまじった、ある感慨にふけっているのではなかろうか。
わずかながらの不安、落胆! この心理のカゲは、幸福すぎる時にフト心をよぎる、この幸福を失うことへのおそれ、とは、ニュアンスが少し違う。
マスコミの集中化が進んで、読売、朝日という二巨大紙が、さらに超巨大紙へと進む時、そこでは、もはや「読売信条」などというのは、古文書と化し、「読売精神」などというものは、全く失なわれてしまう——メンタルなものが一切なくなった、組織と機構と、それのオペレーターとによって、〝新聞〟がつくりだされていくに違いない。務台が、前述の復帰第一声の中で述べた、「新聞」と「読売」とへの愛情などは、もはや、誰にも理解されなくなるのである。充実感のウラ側の不安と落胆とは、その現実への〝予感〟である。
八幡製鉄の子会社、松庫商店の業務上横領事件を、取材していると、八幡幹部の経理面の不正が、いろいろと出てくる。たとえば、某社長夫人の葬式に、八幡と関係が深い人物だったので、八幡から香典が供えられた。
その中身は二十五万円也。ところが、八幡の経理からは、五十万円が出金されている。なるほど、香典などは、受取証の出ない金なのだから、担当者がフトコロに入れてしまったのだろうか。
これでは、死者への礼を欠くどころか、死んでもなお、関係者の〝汚職〟に利用されて、霊魂も浮ばれまい。
私の「読売も大きくなったなあ」という感慨とは、この八幡製鉄のケースから考えてのことである。務台が、今さら〝読売精神〟を訴えんとすれば、これは、「小林副社長との対立か?」と、カンぐられる時代になっているのである。そして、務台側近筋の〝思いもかけない反応〟という言葉が、その時代の流れを〝読みきれない〟ということを、裏書きしていよう。
現に、〝販売の神様〟であった務台にとっては、新聞業界紙が、匿名で取りあげた「某紙某局長が私財一億円を貯めこんだ」という記事を目して、〝一億円局長〟を、読売の局長になぞらえられたり、販売部門の部下が、悪徳店主と〝組んだり〟して、新聞販売店従業員を学校に入れるという読売奨学資金制度を〝食いもの〟にしているなどとして、善良店主の造反がおきたりしている、ということは、かつての読売精神からは考えられないことであろう。
その時、さる四十四年八月十日付の朝刊一面で、大手町の新社屋建設計画が公表された。地上十階、地下五階の、最新、最大の設備で、この八月から二年計画で工事を進め、昭和四十六年十月を期して、移転するというものだ。
「こうした最大、最新の新社屋建設の目的は、もとより、より充実した紙面の作成と、読者への最善のサービスのためのもの」という謳い文句。発行部数は全国で五百五十七万(八月一日現
在)、東京本社だけで、三百七十四万と呼号している。これだけの部数を印刷するためには、輪転機九十六台を収容する工場を必要とするというのである。総工費は一口に二百億。