木幡計・一係長が、然るべく手配したのか、やがて外事警察のデカたちは、相当にスマートになってきた。外で逢ったら、三課のデカとは思えぬほどの若手がふえてきた。——こんなふうにして、〈東京租界〉の取材は進み出していた。
夜は夜で、彼らの集まるナイト・クラブ、赤坂のラテン・クオーター、麻布のゴールデン・ゲイト、銀座のクラブ・マンダリンや、デインハオなどで、租界に巣喰うボスたちの生態をみつめていた。
国際バクチの鉄火場だった、銀座のクラブ・マンダリン(のちのクラウン)事件は、あとで触れるが、のちのように洋風で、華やかなキャバレーではなく、荘重な純中国風のナイトクラブだった。戦時中、「東洋平和の道」などの、日華合作映画の、主演女優だった、パイコワン(白光)の趣味で飾られ、食器は小皿の一つにいたるまで、すべて香港から取りよせられる、という凝り様だった。
赤い中国繻子で覆われた壁面や、金の昇り竜をあしらった柱、真紅の中国じゅうたんなど、始皇帝の後宮でも思わせるように、豪華で艶めかしかった。照明は薄暗く、奥のホールでは、静かにタンゴ・バンドが演奏しており、白い糊の利いた上衣のボーイたちが、あちこちに侍って、立っていた。
私は、このパイコワンと親しかった。もちろん、彼女には彼女なりに、私と親しく振る舞う理由があった。昼間の彼女は、切れ長の目が吊り上がった中国顔で、早口の中国語で、怒鳴っているのかと、思えるほどの調子でしゃべる時などは、何かオカミさんじみて幻滅だった。
だが、夜のパイコワン、ことに、このマンダリンでみる彼女は素敵だった。私は、北京ダックと長
ネギと、甘酢味噌のようなものを、小麦粉を溶かして焼いた薄皮に包む料理を、彼女が手際よく、まとめてくれるのを見ていた。客の前に材料を揃えて、好みのサンドウィッチを、作って喰べるのに似ている。
その器用に動く指を、眼でたどってゆくと二の腕まで出した彼女の餅肌の白さが、ボーッと、二匹の魚のように、鈍く光っていた。
「美味しいでしょ?」
少し鼻にかかった甘い声で、彼女は私にいった。正面はともかく、横顔はまだ、十年ほど前ごろのように美しい。彼女も、映画のカメラ・アイで、それを承知しているらしく、話す時にはそんなポーズをとる。
私が、彼女の映画をみたのも、その頃だった。清純な姑娘だった彼女も、下腹部にも脂肪がたまり、何かヌメヌメとした感じの、濃厚な三十女になってしまった。
パイコワンといえば、今の中高年以上の人には、昔懐かしい中国人の映画女優である。この数奇な運命をたどった女優には、彼女らしい〝伝説〟がある。
上海の妓楼で働いていた彼女の、清純な美しさに魅せられた日本の特務機関の中佐が、すっかりホレこんで、これを映画界へ送りこんだ、というのがそのひとつである。
ところが、その真相は、その中佐の部下の中尉に、眉目秀麗な男がいた。上海郊外で宣撫工作に従
事していた中尉と、田舎娘のパイコワンとの間に、いつか、恋が芽生えた。だが、命令で内地帰還となった中尉は、彼女にそれを打明けずに、姿を隠してしまった。