「で、金のサイコロ模様の腕輪は?」
「ウチで、外人記者のレポートで、その秘密を書いたので、止めてしまったと」
辻本デスクは、ふたたび、ウーンと唸って考えこんだ。
「どんな男だ? 日本における、過去の警察沙汰は、あるのか」
原四郎部長も、部長席から立ち上がって、私たちの話に加わった。
「ですが、私は、〝上海の王〟ではない、と思うのです。その最大の根拠は、都庁の外事課で調べた、彼の登録証によると、一九二五年湖南省生まれで、同三六年、博多入国となっています。
つまり、現在二十七歳。どうみても四十歳がらみの顔をしていますし、中共に追われて日本にきたワケではないし、十一歳で、上海でビッグパイプと呼ばれる賭博師なんて、信じられませんよ」
辻本デスクは、まだ、考えこんでいる。
「しかし、終戦時の混乱で、多数の外国人が密入国してますし、パスポートではなく、進駐軍の認めた証明書で、旅券代用になっているケースもあるんです。この、外国人登録証だけを、全面的には、信用できないのです」
「ウンウン。で、政治家との関わりは、事実あるんだな」
「どういう〝金〟なのか、ともかく、政治家や、自由法曹団の弁護士にも、献金しているようです」
「ヨシ、〝上海の王〟ではなくとも、話題性で取り上げよう。十一歳でビッグパイプという、アダ名を持つバクチ打ち、ということは世にもロマンチックな話…と、アホラシい記事にすれば、部長。案外、
オモロイかも…」
こんな経緯で、「東京租界」の第一回は、王長徳をオチョクッた記事でありながらも、「ねらう東洋のモナコ化、烈しい縄張り争い銀座を舞台の第三国人」と、独立日本の現状報告として、シビアな記事にまとめられた。この王長徳なる人物、それ以来、それこそ山あり谷ありの、波瀾万丈の業績を積み重ねて、現在も、東京にいるのである。
のちに判明したことであるが、この読売記事を持ち歩いて、企業をオドシたりして、事件になり、服役したこともある。
私には、土橋のあたりを歩く時、あのドブ川とともに、黄色会館(のち、強制撤去)のあったあたりを、懐しく眺めたりする、想い出の取材であった。
さて、こうして、「東京租界」キャンペーンは、国際バクチと、シカゴ、マニラ、上海の三都市の代貸したちの暗闘、という、ドラマチックな展開でスタートした。
と同時に、その反響も大きかった。国内的な反響ばかりではなく、それは、独立国日本の、最初の〈占領政策批判〉であり、かつ、打ちひしがれていた、警察への〈叱咤激励〉であった。同時に、国民に対して、独立国の誇りと自信とを抱かせるものとなった。