読売梁山泊の記者たち p.204-205 「ウーン、オカシナ奴だな」

読売梁山泊の記者たち p.204-205 私は単刀直入に切りこんだ。「〝上海の王〟というのは、あなたか」「そうです。私が、〝上海の王〟です。上海時代には、バクチ場が、ビッグ・パイプという店だったので、この店にも、ビッグ・パイプという名前をつけたのです」
読売梁山泊の記者たち p.204-205 私は単刀直入に切りこんだ。「〝上海の王〟というのは、あなたか」「そうです。私が、〝上海の王〟です。上海時代には、バクチ場が、ビッグ・パイプという店だったので、この店にも、ビッグ・パイプという名前をつけたのです」

しかし、〝上海の王〟ともあろうものが、十円札をバラまくような、安キャバレーをやるだろうか。
——イヤイヤ、さきの匿名外人記者の記事にも、ワンは、ナイトクラブの日本娘を、客引きに使って

いる、とあったではないか!

私は、この〝情報〟に、最後の期待を托したようだった。

——ウン、そのキャバレーの女の中に、サイコロ模様の金の腕輪の女が、まぎれこんでいるかも知れない!

サツまわりから、「社長は、黄色合同株式会社の王長徳」と、電話がきた。

「…どうも、左翼系らしいですよ。自由法曹団の布施達治弁護士と親しく、宮腰喜助、帆足計両議員の中共訪問に、資金を出した男、といわれてますよ。…ア、そうそう、あの黄色会館は、違法建築だ、といわれています」

私は当惑してしまった。

中共に追われて、日本へやってきた〝上海の王〟と呼ばれる博徒が、〝左翼系らしい〟といわれるような、派手な動きをするのだろうか。その上、当局に注目されるような、違反建築をやらかす、とは!

いまの土橋あたりは、もう埋め立てられて川はない。数寄屋橋と同じように、土橋も、地名だけで、橋はなくなっている。新橋から銀座、東京駅前には、ドブ川があって、これが埋め立てられ、高速道路と、銀座はコリドー街。もとの、読売本社前、いまのプランタンと、有楽町駅の間の、高速道路下の食堂街も、みな、ドブ川の埋め立て地だ。

その河川敷を、都に貸してほしい、材料置場にする、という陳情に、王長徳が現れたのは、昭和二十五年の三月、当時、改進党代議士だった、宮腰喜助が同道してきた。

だが、電話でアポを取り、黄色会館三階の社長室で、会った。恰幅の良い、中国顔の男だった。私は単刀直入に切りこんだ。

「私たちは、〝上海の王〟と呼ばれる、バクチ打ちの親分を探している。あなたも、ワンだが、〝上海の王〟というのは、あなたか」

「そうです。私が、〝上海の王〟です。上海時代には、バクチ場が、ビッグ・パイプという店だったので、この店にも、ビッグ・パイプという名前をつけたのです」

「……」

さすがの私も、唖然として、次の質問が出なかった。リプトンは、ニセの書類を、次々に出しては、「貿易商」を装うことに失敗したし、リーは、これまた「事業家」としてはチャチなモーテルの建設で、シカゴのボスを否定した。

つまり、〝上海の王〟も、同じように、日本では法律で禁止されている、賭博場の経営を、当然、否定するであろう、とばかり、思いこんでいたからである。

それなのに、真ッ正面から、〝上海の王〟を名乗り、ある意味では、〝上海の王〟であることを、気取ってさえいるのである。このようなタイプの男は、「東京租界」の取材をはじめてから、はじめて出会ったからだ。

「ウーン、オカシナ奴だな。自分から名乗りをあげるなんて…。ホントに、認めたんだろうナ」

「まさか、私がウソの報告をしますか。牧野君も同席していたし…」