私は、英字新聞の広告の、パーティーの日取りのところを、指で示した。
「…リプトンの来日のことは知らなかった。やはり、サツはサツで、見るべきところを押さえているネ。しかし、英字新聞の広告、なンてのは、ブンヤでなきゃ、ネ。サツカンにはムリだよ」
「いやァ、さすがだ、と思いましたよ」
「ヨシ、それじゃ、これで、五分、五分。協力して、国際バクチを挙げようや。部長の前で、上村サン、秘密保持。現場には、読売の記者とカメラの立ち入りを認めてよ。でなければ、読売の独占スクープは崩れるよ…」
「分かった、分かった。じゃ、大記者サン、段取りは、保安課長と打ち合わせて、や」
「ウン。だけど、部長も課長も、夕方になったら、自室を使わないこと。遅くまで、灯がついていたら、スグ、各社にバレる…」
昭和二十八年三月十六日、午後一時ごろのことだった。パーティーは、その夜と、広告には、書かれてあった。
そこで、クラブの周辺をブラブラする仕事は、読売が分担した次第。しかし、クラブの入り口近くに〝靴磨き〟を配置し、さらに、〝バタ屋(クズ拾い)〟に扮した男が、入り口の、警報装置を調べ、手入れの時は、ドアボーイに体当たりして、内部への連絡を絶つなど、綿密な作戦計画を立てた。
私は、電通通りをブラブラしながら、目だけは、マンダリンの入り口に注いで、公衆電話で、上村
課長の直通に、人数を知らせる。
「課長。もう四、五十名は入ったよ。何時ごろの討ち入りだネ」
「そう、はやりなさんな。まだ九時じゃないか。水商売の営業時間の、十一時すぎでないと、やれないよ」
「そうか、じゃ、引きつづき、見張るよ」
「ウン、頼むよ」
そんなヤリトリがあって、私たちはイライラしたのだが、警視庁が手入れをした、と、いうことで、ニュースになるのだから、もう、ここまできたら、保安課長に、主導権を渡さざるを得ない。
ところが、のちに、大問題が起きる——それは、後述するとして、三月十七日付の朝刊の最終版の記事を紹介しよう。
(読売朝刊の記事)
この日、警視庁では、午後六時ごろ、クラブ・マンダリンで「慈善パーティー」を表看板に、賭博を開いていることを察知したが、慎重を期して、午後十一時以降の営業禁止時間に入るのを待ち、これを名目に踏みこむ作戦をとった。
午前零時、上村保安課長指揮の制私服警官三十五名が、「慈善パーティ」とはり紙をしたドアを排して、一せいに飛びこみ、ドア・ボーイが呆然としている間に二階へ。